貫華齋

西遊記・金聖歎・中国古典小説

 前回も少し触れましたが、ページ数の多い児童書西遊記では、早い時期のものから近年刊行されたものにいたるまで、全体型のものが多数を占めます。早い時期のものでは、小杉未醒『新訳 絵本西遊記』(左久良書房、1910年)、中島孤島『西遊記』(冨山房、1920年)、宇野浩二『西遊記物語』(春秋社、1926年)などがこれにあたります。

 しかしページ数の少ない作品ではその出現は意外に遅く、2012年に調査した書籍の中では、1946年刊行の石上十地『孫悟空』(民生出版社)、平井房人『俺ハ孫悟空』(昭和出版)が最も早いものでした。前者の頁数が30頁、後者が22頁というコンパクトなものです。両者ともA部分(五行山に閉じ込められるまでの孫悟空の部分)を簡潔に述べた後、五行山に封じ込められた孫悟空が(後者は八戒・悟浄も)玄奘に弟子入りする部分を書き、その後の部分からは、前者はC09「人参果」とC17「独角兕大王」の挿話を採用し、後者は同じくC09「人参果」とC16「通天河」の挿話を採用しています。どちらも後にC部分のツートップとなるC11「金角・銀角」とC21「火焔山の牛魔王」の挿話は採用せず、取経に到った場面も描いていないところが、現代の私たちから見ると特徴的に見えます。

 その後の調査で、上記2冊よりも早く刊行された児童書西遊記の中に、A部分(やB部分=玄奘が取経に出るいきさつ)、C部分(西天取経部分)のコア・ストーリー(悟空・八戒・悟浄の弟子入りと取経の場面を含む挿話。即ち、削除されると『西遊記』全体の構成が成り立たなくなる挿話)に加え、コアストーリー以外のC部分の挿話を含むものが何冊かみつかりました。例えば、次の様な本がそれに当たります。

  • 山田貞夫『孫悟空』(弘報館、1911年)
  • 奥野庄太郎『東西童話新選 天の巻』(中文館書店、1928年)所収の「西遊記」
  • 大阪三越編輯部『こどもの世界 あの國この國』(大阪三越、1928年)所収の「西遊記」

ただし、これらはA部分型にB部分の一部やC01「双叉嶺」が追加されたものです。追加された「双叉嶺」は玄奘が取経に出かけてすぐの最初のお話で、次のようなです。

二人の従者を連れ唐の国を発った玄奘は、双叉嶺という山で魔王に捕まり、従者たちを食われてしまいます。玄奘自身は太白金星に助けられますが、一人旅になってしまいます。そして山中で猛獣に襲われそうになった時、劉伯欽という猟師に助けられます。玄奘は伯欽に国境まで送ってもらいますが、伯欽はそこまでしか玄奘についていくことはできません。困った玄奘の前に現れたのが、五行山に閉じ込められている孫悟空でした。

 この挿話は、無くても西遊記全体を構成することが出来なくはないので、コア・ストーリーに入れなかったのですが、一方で悟空の妖怪退治の話ともいえず、B05「玄奘、取経者となる」の延長、あるいはB05とC02「孫悟空の弟子入り」とを繋ぐ役割を果たす挿話です。従って、上に挙げたようなA部分型+C01双叉嶺の本は、全体型というよりもA部分型の「拡大バージョン」と言った方が適当ではないかと思われます。

 後の調査で見つかった本には及川恒忠『支那童話集 臺灣童話集』(世界童話大系15、世界童話大系刊行会、1927年)及び、『支那童話選』(近代社 、1929年)というものもあります。これらの本には西遊記からA部分に当たる「花果山」の他、「人参果」「善財童子」「芭蕉扇」「紅桃子」という4話が採録されています。この4話はそれぞれC09 人参果・C13 紅孩児・C21 火焔山の牛魔王 C30・地湧婦人といった妖怪退治の場面に該当しますので、前回述べた定義の上ではちゃんとした全体型です。ただし、これらの話はつながっておらず、それぞれが一つの話として集められたものとなっています。つまり、西遊記から採用した挿話全体を一つの話として構成してたのではありません。従って全体型というよりも「A部分型+C部分型」といった方が正確なのではないかと思われます。後の時代に現れる、西遊記の全体をつながりのあるストーリーとして書いた全体型とは異なるパターンです。この本ではこれらの話をまとめて「西遊記」等の名前をつけることもなく、西遊記以外の話と並列的に扱っていることからも、西遊記から採用した挿話を一続きにする意図のないことが窺えます。

 つまり、戦前・戦中の児童書西遊記の中には、ページ数の少ない全体型の本は少なく、しかもそれらは後の時代の全体型とはかなり異なっており、むしろ性格的には部分型に近いものなのです。従って、当時は、ページ数の多いものは全体型で編纂し、ページ数の少ないものは部分型で編纂する、と役割が比較的はっきり分かれていたのではないかと考えられます。また別の見方をすると、ページ数が少ない本を作る場合、C部分の妖怪退治の挿話は、(及川氏は例外として)どうしても採用したいものだとは、あまり見なされていなかったとも言えます。後述するように、C部分型もこの時期には少ないことからも、そう言えそうです。

 しかしその後、戦後に至ると、前回の表に見られたように、100ページぐらいまでの少ないページ数の本でも、全体型の児童書西遊記がコンスタントに刊行されることになります。特に1986年刊行の平田昭吾『そんごくう』(世界名作ファンタジー20、ポプラ社)を嚆矢とする「アニメ絵本」は、ほとんどがこの編集パターンを採用しています。本屋さんで、くるくる回る書棚におかれている、CDジャケットぐらいのサイズで50ページぐらいの、比較的安価で購入できるあのシリーズです。アニメ絵本の西遊記には次のようなものがあります(リンク先はAmazon)。

 これらの本は全て、A部分から幾つかの挿話を採用し、悟空・八戒・悟浄の弟子入りを書き、1~3つ程度の妖怪退治を経て、取経に至るという構成になっていて、まさに全体型の基本パターンどおりです。これらの本の出現が、現在に至るまで全体型が半数を占め続けている原因の一つとなっているのです。

 以上、今回は全体型の児童書西遊記についてお話しました。次回はA部分2型、つまり、A部分の挿話を中心に(あるいはA部分の挿話のみを)採用し、孫悟空が取経に行かないタイプの児童書西遊記についてお話します。

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