A部分1型とC部分型

 今回はA部分1型とC部分型についてお話します。

 このブログでは、A部分の内容を中心として描き、それにB部分や、C部分のコア・ストーリーを付け足したものをA部分1型と呼び、C部分の挿話のみを採用して成り立っているものをC部分型と呼んでいます。

 この二つのタイプは、「挿話の採用パターン」で見たように、2012年の調査では、A部分1型は1945年以前のものが多く(5→1→1→1→0→1)、C部分型は1992年以降増加している(2→1→0→1→3→4)という傾向がありました。

 この時の調査では、児童書西遊記のうち、1945年以前に刊行され、ページ数が100ページ程度までのものは8点あり、そのうち6点がA部分型でした(A部分1型が5点、A部分2型が1点)。全体型は無く、残り2点はC部分型でした(その後の調査で、全体型の児童書西遊記も見つかりました。「全体型の児童書西遊記」参照。ただ、C部分のコア・ストーリー以外の挿話を採用する本はやはり少ないです)。C部分型に該当した2点は、宇野浩二による『孫悟空と八戒』(講談社の絵本149、1940)、『孫悟空(火ノ山ノマキ)』(講談社の絵本191、1941)ですが、これらは『孫悟空』(講談社の絵本95、1939)と同一のシリーズとして刊行されており、C部分型の絵本を刊行することを意図したというよりは、A部分型である『孫悟空』の続編を刊行し、3冊で全体型となるよう企画して刊行されたものであった可能性が高いと思います。そしてこの2冊を除けば、1945年以前に刊行されたものは全てA部分型となりますので、この時代に少ないページ数で児童書西遊記を刊行する場合、A部分を中心とした挿話の選択が行われていたと言っていいと思います。

 その理由として例えば次のようなことが考えられます。

 1つは、本稿でも児童書西遊記の嚆矢として扱っている、『孫悟空』(世界お伽噺10、博文館、1899)の作者、巌谷小波の影響です。上述の「講談社の絵本」の作者、宇野浩二は、自分が児童文学に関わるようになった理由について、1949年に出版した『遠方の思出』の中で以下のように述べています。

私が、初めて讀んだ雑誌は「少年世界」で、初めて讀んだ本は、(教科書を除いて)『日本昔噺』、『日本お伽噺』、『世界お伽噺』である。「少年世界」の主幹も巌谷小波、前記の三つの叢書の著者も巌谷小波であった。私が、後年、巌谷小波のやうな人になりたいと思ふやうになつたのは、この時分に、毎日、これらの本を殆ど二三册づつ讀了したのが、元になったのであらうと思ふ。

 このような記述から当時の巌谷小波の影響力が窺えるのですが、小波が『孫悟空』で挿話を採用したパターンが以前「巌谷小波『孫悟空』」で見たように、A部分1型だったのです。

 もう1つの理由として考えられるのが、当時、A部分のストーリーが児童文学に適していると考えられていた事です。作家の佐藤春夫は、A部分2型の児童書西遊記の一つとして前回お話しした「孫悟空」(『仙女の庭』所収)の他に、300ページ余りを費やした『西遊記』(新潮社、1940。のち、少年少女世界名作文学全集23、1960)を書いているのですが、この作品で彼は、これほどのページ数があるにも関わらず、猪八戒が登場する前の部分までしか書いていません。そして、その理由を、本文中で以下のように述べています。

孫悟空の主役になっているはじめの部分は、人間の少年時代を書いたもので、それだから子どもにおもしろく有益な教えが多いのだが、猪八戒が主役になると、人間のこども時代からぼつぼつはなれてしまうから、子どもにはわからぬことが多くなりすぎる。

 このように、当時はA部分こそが子ども向けであるという認識が存在していました。これがこの時代、ページ数が少ない児童書西遊記においてA部分1型の編集パターンがよく用いられていた理由の1つと考えられるのです。

 しかし、時代が下るとA部分1型の書籍は見られなくなっていきます。比較的最近かかれたA部分1型のものに、2002年に刊行された、千葉幹夫『孫悟空』(新・講談社の絵本13)がありますが、これは宇野浩二『孫悟空』で使用されていた本田庄太郎の絵を用い、文章だけを現代に合うよう書き換えられたものです。従って千葉の文は本田の絵に無い場面は採用できないという制約を受けていて、その結果として宇野浩二『孫悟空』と同じ編集パターンとなったものですから、編者の意図による挿話の選択ではないと考えられます。つまり実質的には、1985年の小川睦子『孫悟空』(オレンジ絵本名作シリーズ14、オレンジ・ポコ)以降、編者の意図によって挿話の選択が為された、新たなA部分1型の本は刊行されていないのです。

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 これらの事例も考え合わせた上で、A部分1型は1945年以前のものが多く、C部分型は1992年以降増加しているという事実を見ると、以前はA部分が重視されていたものが、現在も続く全体型中心の受容形態を経て、近年C部分が重視されるようになってきたと考えるのが、やはり妥当ではないかと思われます。孫悟空のイメージが、「天宮を閙がす者」から「玄奘の弟子」へと変化していると言い換えてもいいかもしれません。

 その現れの一つが、二次創作における孫悟空らキャラクターの描かれ方です。佐々木睦「『西遊記』東遊録 サブカルチャーにおける中国古典小説の二次創作に関して」(アジア遊学105、勉誠出版、2007)によると、1980年中盤頃から、コミック等における西遊記の二次創作が盛んになったとのことですが、これらの作品の多くが、三蔵法師・孫悟空・猪八戒・沙悟浄の4人(場合によっては龍が化けた白馬なども)を1セットのキャラクターとして用いています。つまり、西遊記はあくまで「三蔵一行」の物語であり、孫悟空はその中の一人(ただし最も重要な)であるという認識が一般化していると思われるのです。これは、全体型の児童書を含む多くの媒体で、原作でも9割近くを占めるC部分を最も重要な内容として、西遊記が繰り返し受容されるなかで、「三蔵一行」の物語としてのイメージが強化され、固定化されてきた為ではないかと考えられます。

 同様の傾向はTVドラマの「西遊記」にも見ることができます。1978年~1979年に日本テレビ系列で放送された、堺正章主演の「西遊記」では第1回でA部分の内容をきちんと描いているのに対し、2006年にフジテレビ系列で放送された香取慎吾主演の「西遊記」では玄奘が三人の弟子と出会うところから始まり、取経の旅のみを描いています。

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 もう1つ、別の角度からC部分型増加の原因を指摘しておくと、読み聞かせの流行に伴う物語集出版の増加が考えられます。「国立国会図書館サーチ」で「読み聞かせ」を書名のキーワードとして、「本」を検索したところ(2012年11月20日)、読み聞かせ関連書籍の年代別点数は、1945年までと1946-1953年は0点、1954-1973年が4点、1974-1991年が50点、1992-2000年が132点、2001-2011年が384点と近年激増しているのですが、この増え方はC部分型の増え方と相似しています。

 なお、C部分型西遊記を掲載する書籍のうち、読み聞かせ童話集に該当すると思われるものには、例えば以下のようなものがあります。

 これら読み聞かせ用物語集は一冊に多くの物語を詰め込んでおり、一つの話に割り当てられるページ数が20頁以下と非常に少なくなっています 。同様の形式でも各挿話の描写を簡略化して全体型に纏めている本も存在しますが 、採用した場面の描写のおもしろさをなるべく削がないように収録しようとするならば、これほど少ないページ数の場合には、部分型の方が適しているといえるでしょう。もちろんA部分から挿話を採用してもいいのですが、挿話一つ一つが比較的高い完結性をもつC部分からの採用が多くなることは、それほど不自然ではないと思われます。そして、これが近年のC部分型増加の理由の一つではないかと考えられるのです。

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