考察:1980年代「河童率」上昇の原因(1)外的要因

1.1980年前後のテレビ界

 さて、それでは、前回の調査結果を受けて、1980年代に河童率が上昇した理由を考察してみます。まあ、いろいろ考えられるわけなのですが、その中で、やはり最初に挙げるべきは、直前のTVにおける西遊記ブームではないかと思います。1978~79年に堺正章が孫悟空を演じ、夏目雅子が三蔵法師を演じた日本テレビ版『西遊記』のDVDBOX(VAP、2006年)の、金澤誠氏による解説には次のように述べられています。

一九七八年は、時ならぬ『西遊記』ブームの予兆があった。前年十月からザ・ドリフターズの面々にそっくりの人形が、三蔵法師一行を演じるコメディ人形劇『飛べ!孫悟空』TV放送が始まり、七八年四月にはSF版のアニメ『SF西遊記 スタージンガー』の放送もスタートしている。子供層を中心に『西遊記』熱が徐々に高まる中、日本テレビの実写版『西遊記』は、そのムーブメントの真打として登場したのだ。

ここに書かれているように、まずTBS系列でザ・ドリフターズが出演する人形劇『飛べ!孫悟空』が放送され、次いで西遊記を題材とした松本零士原作のアニメ『SF西遊記スタージンガー』がフジテレビ系列で放送、そして日本テレビの『西遊記』『西遊記Ⅱ』が放送されました。1980年代直前にTVで次々に西遊記を題材とした番組が放送されたのです。

 では、それらの番組の中で、沙悟浄はどのように扱われているのでしょう。TBS系列『飛べ!孫悟空』の、沙悟浄初登場の場面(第二回)は、次の様なナレーションを受けて始まります。

とにかくびっくりしたねえ。氷の下にあんな河童の怪物がいるんだからねえ。うん、この氷の下にはねえ、うーんもう、うじゃうじゃいるの。あんなの屁のカッパっていうぐらいのもんだよ。さあ、どんな怪物がでてくるか。西遊記ご一同さま、出発ーっ! 

このように、ナレーションではっきりと「河童の怪物」と言われており、人形の姿も頭に皿を載せ、河童そのものです。

 フジテレビ系列『SF西遊記スタージンガー』で、沙悟浄に比定されるキャラクターは「サー=ジョーゴ」です。彼は河童扱いされているわけではないようですが、彼の乗り物の名前が「スターカッパー」であったり、武器が「カッパーミサイル」であったりします。色合いはカッパー(銅)っぽいわけでもなく、青や緑でブロンズ(青銅)の方が近いような気もしますが、「カッパ」との関連をにおわせるネーミングになっているのかもしれません。そういえば、青や緑って河童色と言えなくもないですよね。

 日本テレビ系列『西遊記』でも沙悟浄は河童とされています。岸部シロー演じる沙悟浄が、三蔵一行の前に登場する場面(第3話)では、孫悟空との次の様なやりとりがあります。

沙悟浄「人が折角昼寝をしようとしてんのに、うるさいぞ!」
孫悟空「なんだよ、このカッパ。あ、おい、ちょっと待てや、まて、こら、カッパ。待てっつんだよ。おい!」
孫悟空「待て~、カッパ~!」
(中略)
沙悟浄「おれがな、カッパに堕とされたんも、そもそもはお前(井上注:孫悟空)のおかげじゃ。天上界の恨みを、今ここで晴らしてやるぞ」

 以上述べてきたように、1980年代直前のTVにおける西遊記もの流行の中で、沙悟浄は河童とされていますし、沙悟浄から作られたキャラクターは河童との関連をにおわされているように思えます。当時のTVの影響力を考慮すると、これが児童書の分野にも影響することは十分に考えられると思います。特に日本テレビの『西遊記』は影響が大きく、この番組で採用された、三蔵法師を女優が演じるという配役が、TVでは2006年のフジテレビの『西遊記』まで受け継がれているぐらいです。

 そのような影響力を考えると、1980年代に児童書で河童率が上昇した一因として、その直前の時期のTVにおける西遊記ブームと、そこでの沙悟浄の扱いを挙げることもできるのではないかと思います。

2.テレビに影響を与えたもの

 それでは、そもそもTV番組はどうして沙悟浄を河童にしたのでしょうか?

 沙悟浄を河童とする認識は、字が読めない人にも楽しめる大衆メディアであった講談に見られたことを前に指摘しましたが、実は、その後、他ジャンルの大衆メディアにも引き継がれていたのです。

 例えば落語。二代目桂小春団治に「西遊記」というネタがありますが、沙悟浄を次の様に紹介しています。

これがあの有名な三蔵法師。唐の太宗皇帝の御代、ときは貞観13年秋9月13日、みやこ長安を出発。途中、お供に加わったのが、犬、サル、キジ……じゃない、サルとブタとガタロ(カッパ)で……。(中略)旅をつづけますうちに、もと天の川の海軍提督のなれのはて……猪八戒というのが家来になり、つづいて天界で、捲簾将軍をつとめていたという河童の沙悟浄が部下になり、それぞれ、熊手や宝杖という獲物をかついで、三蔵法師を守護しながら、天竺へ天竺へと進んでまいります。

このように、落語でもやはり沙悟浄を「ガタロ」「河童」と言っているのです。

 また、映画も同様です。かの有名な「エノケンの孫悟空」(1940年、東宝、監督は山本嘉次郎)では、沙悟浄は三蔵一行の乗る船に乗り込み、歌を歌いながら登場しますが、その歌詞は以下の通りです。

ちょいとでました俺様は、水の都で名も高い、河童の大王河童様、坊主頭の髑髏、集め、集めて…(以下略)

ここでは「河童の大王河童様」です。

 このように、講談以降、落語、映画など、他の大衆メデイアでも沙悟浄が河童であると設定されており、その流れを引き継いだのが、TV番組なのではないか、そしてその影響を児童書西遊記が受けて、河童率が上昇したのではないかと考えられるのです。

 しかし、そうだとすると、大衆メディアの中では、1980年代よりもかなり前のから「河童の沙悟浄」という認識が一般化していたと考えられます。それでは、なぜ1980年代になるまで児童書西遊記では河童率がそれほど高くなかったのでしょうか?TVは他の大衆メディアよりも著しく影響が大きかったのでしょうか?もしかすると、そうかもしれません。しかし、影響を受けた児童書西遊記側に何か原因があるのではないかと考えてみる必要もあるでしょう。次回は児童書側の内的要因について考察を加えてみたいと思います。

< 前  /  目次  /  次 >