伊藤貴麿関連資料(5)「菊姫物語」

 伊藤貴麿関連資料の5回目は、今回も翻訳で、講談社の絵本177『菊姫物語』(大日本雄弁会講談社、1957年)から「菊姫物語」です。絵本なので本当は絵があった方がいいのですが、絵(石井健之)は著作権が残っていますので、文のみ掲載します。
 原作は『聊斎志異』の「黄英」ですが、特に途中からは、かなり話が違いますので、原作と読み比べてみるのも良いでしょう。この話の原文どおりの翻訳は、岩波文庫の『聊斎志異』下(立間祥介編訳)に収められています(p.377)。
 なお、伊藤貴麿はこの本の解説で、『聊齋』について

この本は、恐ろしい話ばかりにみちていると思っている人もいますが、なかなか純情な妖精の話も多く、この「黄英」ほか、「竹青」「花姑子」など、蒲松齢の筆になる妖精類には、暖かい血がかよっていて、そこが同類の中国小説中でも特にすぐれた点であります

と、述べています。

菊姫物語     伊藤貴麿

p.2
 ちゅうごくの じゅんてんと いう ところに、ひとりの おじいさんが すんで いました。おじいさんは、かわいい ひとり むすめの すいらんを なくして、たいそう かなしんで いました。
 おじいさんは、まえから、きくを つくるのが たいへん じょうずでしたから、あるひ、ふと きくを つくって こころを なぐさめようと おもいたちました。そこで、めずらしい たねを かいに、はるばる ナンキンへ でかけました。

p.5
 おじいさんは いくにちか かかって、やっと にぎやかな ナンキンの まちに つきました。さっそく ともだちを たずねて、めずらしい きくの たねを かいたいと たのみました。ともだちも、いろいろと ほねを おって くれましたので、とうとう ある ひ、とても めずらしい きくの たねを、てに いれる ことが できました。

p.7
 おおよろこびで かえって きた おじいさんは、かえりみちで ろばに のった しょうねんに あいました。しょうねんは したしそうに はなしかけました。
「ぼくは ナンキンの ものですが、あねが にぎやかな ところを きらいますので、ずっと きたの まちへ うつる つもりです。」
 なるほど、おじいさんが みますと、まえを いく ほろぐるまに、めの さめるような うつくしい おんなの こが のって いました。

p.8
 その おんなの こは、なくなった むすめの すいらんに とても よく にて いました。おじいさんは きょうだいを じぶんの やしきへ つれて いき、
「とおい きたの くにへ いくより、ここで いっしょに くらしたら どうですか。」
と いいました。おんなの こは やしきの にわが ひろいのを なにより よろこんで、しょうち しました。きょうだいの なは、あねを こうえい おとうとは とうと いいました。

p.10
 ある ひの こと、おじいさんが かって かえった、きくの たねの つつみを、あけて みると、ふしぎな ことに、なかは からっぽでした。あんなに たいせつに して きたのにと、おじいさんは がっかりして しまいました。すると こうえいと とうは、おじいさんを なぐさめながら いいました。
「きくの たねは なくなっても、わたしたちが きっと、うつくしい はなを さかせて おめに かけましょう。」

p.13
 こうえいは、おとうとの とうを よんで にわを たがやし、どこからか もって きた きくの なえを、せっせと はたけに うえました。
 ふたりが うえた きくは ふしぎな きくで、どんどん のびて いきました。おじいさんは おおよろこびで、どんなに りっぱな はなが さくかと、たいそう たのしみに して いました。

p.14
 なつが すぎて あきに なりました。おじいさんの うちには、おおきな うつくしい きいろの きくと、しろい きくの はなが にわ いちめんに さきはじめました。おじいさんは おおよろこびで、はしって いきました。
「それ、きれいな きくが さいたよ。さいたよ。こうえいさんも とうくんも きて ごらん。」
と、ふたりの へやへ こえを かけました。

p.16
 ところが、いつも とんで でて くる こうえいは、すがたを みせません。へやをさがすと、とうまで いなく なっていました。じっと かんがえて いた おじいさんは、はっと きが つきました。
「ああ、そうだ。あの きょうだいは、きっと きくの はなの せいに ちがいない。この きぎく しらぎくこそ、あの かわいい ふたりの すがたじゃ。」

p.18
 ふたりを なくした おじいさんは、じぶんの むすめを なくした ときと おなじように かなしみました。それを なぐさめるように、きぎく しらぎくは、まいねん、うつくしく にわに さきにおいました。


伊藤貴麿関連資料(4)「畫皮」

前回に続いて、雑誌『新小説』第27巻8号に掲載された「聊齋妖話」から「畫皮」です。
「聊齋妖話」には、前回の「胡四姐」と、この話が収められています。今回の方がちょっとエグいかも。また、現在の基準からすると不適切な表現も見られますが、あらかじめご了承ください。

聊齋妖話     伊藤貴麿

畫皮

 太原の王生と云ふ者が、未明に表に出た所が、一人の娘に遇つた。包みを抱へてたつた一人で急ぎ乍ら、甚步きにくさうにして居る。生は急ぎ走つて追い着いて見ると、十六ばかりの嬌娜姿である。心が切りに動いたので聲をかけて見た。
「姐さんはどうしてこんな夜明に、獨りで行きなさるんだい。」
すると女は云つた。
「他人には妾の悲しみは解りませんわ。問はないで頂戴。」
「姐さんに何んな悲しい事があるのか知らんが、事によつちあ、お力にならうじあありませんかね。」
 女はしほしほとして云つた。
「妾の父母はそりや慾張りで、妾を金持ちに賣つたのですの。すると其所の本妻が妬いて、朝晩打つたり罵つたり、それはひどいので溜り兼ね、遠方へ遁げようと思ひまして。」
「そして何所へ行きなさるんだい。」
「ただ遁げ出して來たんですもの、何所つて的などありませんわ。」
「そんなら、私の宅が近いから、来なすつたら。」
 女は喜んで從つた。生は女に代つて包みを持つてやつて、案内して一緖に歸つて來た。女は室に人氣のないのを見て、
「お家族の方は。」と訊ねた。
「此所は書齋だからさ。」
「本當に此所はいい所ですのね。妾を可憐さうだと思つて救つて下さるんなら、誰にも云はないで頂戴ね。」
 生は承知して、それから一緖に寢起きした。女を密室へ匿して置いてから二三日經つたが誰も氣づかない風であつた。
 生は此の事を鳥渡妻にほのめかした。すると妻は、きつと大家の勝妾《おもひもの》かも知れないから、と云つて、追ひやる事をすすめたが、生はきかなかつた。
 或日市へ行くと道士に遇つた。と道士は、
「何かに御遇ひなすつたかい。」
と、愕いて問ふた。
「いいえ、何にも。」
「貴方の身體に邪氣が立昇つて居ますぞお隱しなさるな。」
「いいえ、何にも。」
 と生は再び力を込めて云つた。すると道士は向うへ行き乍ら、云つた。
「ああ惑へる哉! 死將に臨まんとするも、悟らざる者有り!」
 生は其の言葉を變に思つて娘を疑つて見たが、又思ひ直して、あんな美しい娘が、どうして妓怪《おばけ》でたまるものか。道士は威かしを云つて飯の種にでもする氣だらう。……と考へて、やがて歸つて來て、書齋の門迄來ると、門は閉つて居て這入る事が出來ない。これはと鳥渡變に思つて、垣を踰えて室の門へ來て見ると、亦閉つて居る。そと行つて窓から窺つて見る、あつと驚天した。中には面が眞蒼で、齒が鋸のやうにギサギザした一匹の鬼が、榻上に人間の皮を擴げて、釆筆を執つてそれを畫どつて居た。そして筆を擲げ打つて、皮を手に取つて着物でも振るやうにして、身體に掛けると、忽然として一個の美女となつた。此の狀を見て、大いに懼れて、這ひ出すやうにして、急いで道士を追つたが、往つた先が解らない。漸く尋ねあぐんだ上、ふと野原で遇つたので、這ひつくぼつて救ひを乞ふた。すると道士は、彼奴を娘の身體から追ひ出しても、又苦しまぎれに、代りの者を求めるやうな事があつては、又其の者を殺生する事になるからと云つて、生に蠅拂ひをくれて、それを寢空の外に懸けるように云つて、又後程、靑帝廟の所で會はうと約束した。
 生は家へ歸つて來たが、書齋に這入る事を爲得ないで、內室の方に寢て、拂子を懸けて置いた。暫くして戶の外でがたがたと云ふ足音がした。生は自分は恐はかつたので、妻にそつと窺ばせて見た。すると其所へ女がやつて來て、拂子を見て、よう進まないで、齒をむき出して良久しく立つて居たが、引返して行つた。そして暫くすると又やつて來て、罵り出した。
「へん、道士などが嚇かしたつて駄目なこつた。どうして餌食を逃すものか。」
 かう云つて、拂子をばりばりと碎き、寢門を破つて、生の牀の上に飛び上つて、生の肚を引裂いて、心臟を摑み上げて往つて了つた。妻は喫驚して、わつ! と泣いたので婢が燭を持つて這入つて來た。見ると、生は巳に息絶えて其所らぢう血だらけなので、氣もぼんやり、泣かうとしても聲も出なかつた。翌日生の弟に使をやつて、走つて道士に吿げさせた。道士はこれを聞いて赫つと怒つた。
「汝、悪鬼め! 慈悲を垂れてやれば、つけ上りやがつて!」
 そして生の弟と一所に飛んで來たが、女はもう其所には居なかつた。道士は首を仰いで四方を眺め廻して云つた。
「幸に未だ,遠くは遁げては居ない。南隣りは誰の家かね。」
 弟は、それは私の宅ですと云つた。と道士は、今はお前さんの所に居ると云つたので、弟は喫驚してそんな筈はないと云つた。と道士は訊ねた。
「先き方から誰か知らない者が來やしなかつたかね。」
「私は靑帝廟へ往つて居ましたので詳しい事は存じません」
 そこで、弟は問ひ訊しに歸つて往つたが、少らくして、引返して來て、
「居ました居ました。今朝一人の婆さんが來て、女中奉公をしたいと云つたものですから、家內が止めて置いたのです。現に今居ります。」
 と云つたので、道士は「そ奴だ!」と云つて、一緒に往つて、道士は木劎をとつて庭の眞中に立てて叫んで云つた
「悪鬼め!俺の拂子を返せ!」
 すると部屋に居た姿さんが惶てて眞蒼になつて、門を出て逃げやうとした。道士は追つ驅けて、遂に之を擊つて地に斃すと、ずばりと人間の皮から脫けて、化つて厲鬼となり、のた打つて呻めいて居る樣は、豚のやうであつた。道土は木劍を以て其の首をせめると、瞬ち變じて濃い煙となり、地を這つて立昇つた。道士は一つの葫蘆《ふくべ》を出して、栓を拔いて烟の中に置くと、飄々然として、烟が吸込まれて行くやうで、やがて烟はなくなつた。道士は口を塞いでそれを嚢に入れた。又其の人間の皮を視ると、眉目から手足に至る迄、皆備つて居た。道士はそれを、まるで畫軸でも卷くやうに、さらさらと卷いて、やはり囊に入れて、別れ去らうとした。生の妻は門の所で拜んで迎へ、哭いて回生の法を嘆願した。道士は自分には出來ないと斷つた。餘り妻が悲しんで、地に伏して起きないものであるから、道士は暫く考込んで居たが、自分の術は淺くて、とても死者を生かす事は出来ない。が、私が或人を敎へて進せませう。其の人なら或は出来るかも知れない。往つてよく賴んで見なさい。と云つたので、其の人はどう云ふ人かと訊くと、市に糞土の中に寢たりして居る瘋者《きちがひ》が居るが、それに一つ哀れを乞ふて御覽なさい、然しよく云つて置くが、夫人《あなた》を辱めるやう事をしても、怒つてはいけませんよと云つた。生の弟も恰度其の男を知つて居たので、道士に別れて、嫂と一緒に往つて見た。すると往來に放歌して行く乞食が居て、鼻汁を垂れ、其穢なさ側へも寄れない程であつた。生の妻は膝まづいて進んで往つた。と乞食はからから笑つて、
「別嬪さん、俺いらが可愛いいのかね。」
と云つた。生の妻はここへ來た譯を吿げた所が、猶更からからと笑つて、
「お前さん、亭主はいくらでもあらあね。死んだ者を活かすなんて……」
 生の妻は重ねて固く哀許した。
「ハハハ可笑しな人だね。死んだ者を活かせなんて、俺いらは閻魔様じやあるめいし。」
かう云つて彼の男は杖を以て生の妻を打つた。生の妻は痛みを忍んで、之を受けたが、段々見物の人が集つて來た。乞食はべつと痰を吐いて、それを差出して、喰つて見ろと云つた。生の妻は流石にたぢろいたが、道士の言を思ひ出して、强いて痰を呑込んだ所が、喉の中を、固い綿の團りのやうなものが、ごくりごくり下つていつて、胸の所に留つたやうな氣がした。すると乞食は大いに笑つて
「別嬪さんは俺いらが可愛いいと見えるて。」と云つて往つて了てた。後を尾けて往くと廟の中へ這入つたが、追つかけて見ると何所へ往つたのか姿が見えない。それからどんなに捜しても手掛りがない。生の妻は恥ぢ怒つて歸つて來て、夫を亡つた慘ましさを嘆き、痰を食つた恥を悔ひて、ぱつたり俯向けになつて、此の上は自分も死んで了ひたいと、搔きくどいた。それから死骸の血を拭つて死骸を處理しようとしたが,家人達はただ突つ立つて居て、近附いて行く者もない。妻は死骸を抱いて哭き哭き傷をうまく收めて、又止め度なく哭いて居た。と急に嘔き氣を催して、胸の中に塊りがあるやうに覺え、そして其れが突然、げろつと出て來て、首を廻す假もなく、生の裂けた腔の中に落ちた。喫驚して見てみると、それは人の心臟であつた。そして腔の中でぴくぴくして、未だ熱氣が躍つて居て、もやもやと烟のやうな湯氣が立つて居たので、これは不思議な事もあるものだと、急いで兩手で以て腔を搔き合せ、力一ぱい抱き締めたが、少し疲れてひるんで來た。すると烟が合せ目からすうすう漏れるので、絹の布切《きれ》を裂いて急いで束へて、手で以つて屍を撫でて居ると、段々溫くなつて來たので蒲團を掛けて置いた。そして夜中になつて視ると、鼻に呼吸《いき》が通つて居るやうで、夜明けになつて、遂に活返つたが、まるで言《もの》を云ふに、恍惚として夢のやうであつた。そして心臓のあたりに痛みを覺えると云つた。前に裂けて居た所を見ると、錢程の傷になつて居たが。直ぐに愈つて了つた。(了)


伊藤貴麿関連資料(3)「胡四姐」

伊藤貴麿関連資料の3回目。今回は雑誌『新小説』第27巻8号に掲載された「聊齋妖話」から「胡四姐」です。
「聊齋妖話」は、その表題のとおり、『聊齋志異』を訳したもので、この話と「畫皮」が訳されています。今回はそのうち、「胡四姐」の部分のみを掲載しました(「畫皮」は次回)。
なお、踊り字(繰り返し記号)は通常表記にし、Unicodeに無い異体字は正字を使用しましたが、それ以外は原文どおりです。

聊齋妖話     伊藤貴麿

胡四姐

 泰山の尙生と云ふ靑年が、獨り靜かに書齋に籠つて居た。恰度頃は秋の夜で、銀河は高く澄み、明月は耿々として天に懸つて居たので、彼は花蔭を俳徊して、切りに空想を恣にして居た。と忽然として一人の女が垣を踰えて來て、
「秀才《あなた》は何をそんなに考へて被居るの。」
 と云つて、につこりした。彼がよく視ると、其の姿の美しいこと、まるで仙女のやうだつたので、非常に喜び、書齋に連れ込んで懇ろになつて了つた。
「私の姓は胡つて云ふのよ。そして三人目だから三姐つて呼ばれて居るのよ。」
 と女は自分で語つた。彼が家を訊ねると、ただ笑つて居て云はない。彼も亦重ねて問ふやうな事はしないで、ただこれから、長く仲よくしようとだけ云つた。それから娘は毎晩缺さずやつて來るやうになつた。或夕べ二人はやはり戯れて居たが、彼は娘が可愛くて溜らなくなり、ぢつと眸を凝らして見詰めて居た。すると娘は嫣然《につこり》して云つた。
「どうしてそんなに妾を御覽になるの。」
「さあ、お前を見て居ると、紅い花と云はうか、碧い桃と云はうか、夜つぴて見て居ても飽かないね。」
「妾のやうなおかめでも、そんなに愛して下さるんだつたら、もし宅の四人目の妹を御覽になつたら、貴郞きつとびつくらなさるわよ。
 と云ふので、彼はひどく好奇心をそそられ、これ迄未だ一度も拜顏の榮を得なかつた事を殘念に思つて、言葉を盡して賴んだ。すると翌晩、果して四姐も一緖にやつて來た。彼の女は未だほんの處女になつたばかりで、蓮花露を含み杏花霞にうるんだとでも云はうか、嫣然として笑を含んだ其の媚めかしさ較べる物もない程であつたので、彼は狂喜して座に招じた。三姐はいつものやうに彼と談笑したが、四姐はただ刺繡した帶を手に弄んで、俯向いて居るばかりであつた。やがて三姐は起つて別れを吿げるので、妹も一緖に附いて行かうとしたが、彼は彼の女を引留めて放さず、三姐の方を顧て云つた。
「お前何とか云つて吳れてもいいじやないか。」
 すると三姐は笑ひ出して云つた。
「狂郎《このかた》がきつい御思召しだよ。妹子《おまえ》一人で少らく居たらいいじやないか。」
 四姐は默つて何とも云はない。姉の方は遂に行つて了つた。
 それから二人は、懇ろに歡好《なさけ》を盡したあげく、臂を引いて枕に替ゑ、身の上を打明けて、何の隔てもなかつた。
「私は狐ですのよ。」
 と四姐は自分で云つた。然し、彼は其の美しさに惚れ惚れして、深く怪しみもしなかつた。それで四姐は云つた。
「姉さんは、そりや怖ろしいのよ。もう三人もとり殺したの。迷つた者はきつと死んでよ。妾まあこんなに溺愛《なさけ》を受けて、貴郞を見殺しにする事は出來ないわ。早く姉さんと切れて頂戴な。」
 彼は喫驚して、どうしたものかと震ゑ上つた。
「妾は狐でも、仙人の正法を得て居ますから、お符を書いてあげませう。寢床の外に貼つてお置きなさい。きつと御利益がありますから。」
 と云つて、四姐はお符を書いて吳れた。
 曉になつて三姐が這入つて來た。そして、お符を見て後ずさりして、
「まあ婢子《あまつよ》の恩知らずが新郞《をとこ》に惚れて、私を割くんだよ。私が兩人《ふたり》にしてやつた事を考へて見るがいい、よくもこんな眞似が出來たものだね。」
 と罵つて逃げて行つた。
 それから二三日經つて、四姐は他所へ行く事があつて、一日置いての夜を約束した。其の日彼はふと門を出て、其所らを眺めて居た。山の麓に古い樫の木がある。其の茂みからひよつくり一人の少女が出て來たが、亦なかなか捨て難い器量である。彼の女は彼に近附いて来て、
「秀才《あなた》、何も胡家の姉妹ばかりを思つて居るにあたらないじやありませんか。彼の人達は貴郞に一錢だつて贈つた事はないでせう。」
 かう云つて、彼に錢一貫文を與へて又云つた。
「先歸つて、良い酒を買つといて下さい。私は私でちつとばかり御馳走を持つて行きますわ。ね一緖になにしませう。」
 彼は錢を懷にして歸つて、云はれた通りにした。やがて約束通り女はやつて來て、卓の上に、灸つた雞と、鹽豚の肩の肉を列べて、庖丁をとつてこまかに刻んで料理し、それから酒をくみ、戯れて、よくよく歡洽《たのしみ》を極め、やがて燈りを消して………………散々巫山戯て、漸く夜明けになつて起きて、寢床の端に掛けて、靴を履いて居ると、突然人聲がして來たので耳を傾けた。幃幕《とばり》の中へ這入つて來たのを見ると、胡姉妹であつた。これを見ると女は慌て出して、靴を牀の上に遺したまま遁げ出した。姉妹は遂ひ乍ら罵つて云つた。
「下種《げす》狐め!よくもよくも人と一つ所に寢たね!」
 かう云つて追つて行つたが、暫くして引返して來て、彼を怨んで云つた。
「貴郞は、直ぐもう下種狐などと匹偶《いつしよ》になつたりして、私もうもういや!」
 彼の女は悻々《ぷんぷん》して行つて了はうとした。彼は惶て驚き、身を投げて、なだめつすかしつして哀願した。三姐も傍から口添へして吳れたので、四姐の怒りは稍解けた。そして初めと同じやうにいい仲になつた。

 或日陝人が驢馬に騎つて門前に來て云つた。
「私は妖怪を尋ねて、朝に夕べに旅して居る者ですが、今初めて搜し的てました。」
 尙生の父は、妙な事を云ふものだと、何所から來たかと訊ねると、
「私は或時は山を行き或時は海を行き、四方に遊歷して、一年の中、八九ヶ月は鄕里から離れて居ました。妖怪に弟をとり殺されまして、恨みに絕えず、必ず尋ね出して皆殺しにせんものと、はるばると旅しましたが、今迄皆無解りませんでした。所が今貴方の宅にそれが居るのです。殺して了はなければ、私の弟の二の舞のやうな目に會ひますよ。」
 恰度其の時、尙生は女と密會して居た。父母はそつとこれを見て、客の言葉を聞いて大いに懼れ、客を延き入れて、魔除けをさせる事にした。客は二つの瓶を出し地上に列べて、やや長く呪文を唱へて居たが、やがて黑い霧の四つの塊りが、分れて瓶の中へすうつと這入つて行つた。
「うまい、皆つかまへた!」
 客は喜んでかう云つて、そして、猪の脬《あぶら》で瓶の口を塞ぎ,固く封緘して了つた。尙生の父も亦喜んで、客を引留めて御馳走を出した。
 尙生は溜らなくなつて、瓶に近附いて、そつと耳を付けて見た。すると四姐が瓶の中で云つてるのが聞えた。
「貴郞は恩知らずね! 坐つて默つて見て居ると云ふ法があるものですか!」
 彼はもう溜りかねて、急いで封を開いたが、結び目がどうしても解けない。再び四姐が云つた。
「そんな事をしたつて駄目、祭壇の上の旗を倒して、針で脬に孔を開けて下すつたら出られるのよ。」
 彼が其のやうにすると、果して白い煙が一と筋、孔中から出て、空へ消えて行つた。
 客は出て見て、旗が倒れて居るのを見て、喫驚して云つた。
「やあ。遁げた! これは貴方の息さんの爲業に違ひない。」
 そして瓶を搖つて、屈んできき耳を立てて云つた。
「幸ひに、一匹だけ逃しただけだつた。其奴は不死の力を得て居る奴だから、まあ赦してやつてもよいわい。」
 かう云つて、瓶を携へて往つて了つた。

 其の後、尙生が畑で傭人の麥を刈るのを監督して居ると、遙かに四姐が樹の下に坐つて居るのを見たので、彼は近附いて行つた。彼の女は彼の手を執つて、慰め問ふて云つた。
「お別れしてから、もう十年になりますのね。私は今ではもう仙人の修業が積みましたが、貴郞が未だすつかり忘れて被居らないと思つて、鳥渡御目にかかりに来ましたのよ。」
 彼は一緒に歸らうとしたが、女は云つた。
「妾は昔の妾では御座いませんの、此の世の塵に染まる事は出來ませんわ。後程又御逢ひしますわ。」
 かう云つたかと思ふと、其の行くへが解らなくなつて了つた。
 後亦二十餘年,彼が適ま獨居して居ると、四姐が外から這入つて來るのが見えた。彼は喜んで一緒に語らつた。女は云つた。
「私は今では仙人となりましたので、もう二度と此の世に降りて來る事は出來なくなりました。ただ貴郞の情に感じましたので、貴郞の死期をお知らせしに來たのですわ。早く後の事を處分なさい。嘆くものじあありません。貴郞も鬼藉にお這入りになれば、妾どうでもしてあげられるのよ。」
 そして彼の女は別れて往つた。彼の女の云つた冬至の日に、彼は果して死んで往つたと云ふ事である。

「畫皮」につづく


伊藤貴麿関連資料(2)「水面亭の仙人」

伊藤貴麿関連資料の2回目は、前回と同じく『赤い鳥』に掲載された文章、第10巻6号(1923年6月)掲載の「水面亭の仙人」です。これも『聊斎志異』を原作として「自由訳」したもので、原作名は「寒月芙蓉」。この作品も『孔子さまと琴の音』(増進堂、1943年)を始め、いくつかの童話集に収められています。

今回も『赤い鳥』掲載時の文章をテキスト化したものです。原文からの変更点や、注意点につきましては、前回の投稿、伊藤貴麿関連資料(1)「虎の改心」をご覧ください。

水面亭の仙人     伊藤貴麿

   一

 昔支那に、老子といふ偉い仙人がありましたが、その方の敎が元になつて、後に道敎といふ敎が出來ました。道敎は、今でもさかんに支那人の間に信ぜられてをります。その道敎の修業をつんだ人で、昔から偉い仙人が澤山出ました。

 今から数百年前に、支那の濟南といふ所に、或一人の穢い坊さんが、ひょつくりやつて來ました。町の人々は、その坊さんがどこから來たかも、又、名は何といふのかも知りませんでした。坊さんは夏冬なしに、袷をたつた一枚着たきりで、黄色い繩の帶を締めてゐました。別に下着も、ヅボンもはいてはゐません。髮はぼうぼうと生やしたまま、後に垂れて、よく馬鹿のやうに、その端を口に咬へたりしてゐました。いつも町をうろうろして、夜も、人の家の軒先などで寢てゐましたが、不思議なことに、冬雪が降つても、その坊さんの廻りだけはつもりませんでした。
 初めてその坊さんが來た時、色んな不思議をあらはしましたので、町の人々は尊敬して、われ勝ちに喰べ物などを與へました。或時、町の無賴漢が、その坊さんに酒をやつて、不思議な術を敎へてくれと賴みましたが、坊さんは相手にしませんでした。無賴漢は腹を立てて、いつか坊さんをいぢめてやらうと思つて待つてゐますと、或日坊さんが川へ這入つて水を浴びてゐるのを見つけたので、
「さあどうだ、意地惡坊主、かうしてやらあ。」と言つて、川岸に脫いである坊さんの着物をさらつて行かうとしました。と、坊さんは、
「これこれ何をするのぢや、惡戯せんと、返しておくれ。その代り、お前さんに術を授けてあげよう。」と申しましたが、
「何ッ糞坊主、てめぇの言ふことなぞあてになるものか。」と言つて、着物を抱へて走り出しました。すると、不思議なことに、坊さんの繩の帶が見る見る大きな蛇に變つて、無賴漢の首にぐるぐる卷き着いたので、無賴漢は立ちながらぐつと息が詰つて、眞蒼になりました。蛇は猶もしうしう音を立て、鎌首をもたげて、焰のやうな舌をペラペラとはきますので、無賴漢はぶるぶる顫へ出し、地面の上にぺつたり坐つて、許しを乞ひました。すると坊さんは、笑ひながら着物を着て、その蛇を腰に卷いたかと思ひますと、どうでせう、それは元の繩の帶になつてゐました。

   二

 それから、この坊さんの名前は段々高くなつて、町のお役人や、紳士達は、爭って坊さんを招待して、色々敎を聽きました。そして、御馳走をして客でも呼ぶ時には、いつも坊さんをも招いて、あつくもてなしました。
 すると或日、坊さんがやって來て、
「いつも、手前ばかり御馳走になって相濟みません。今度はいつか水面亭でお返しをいたしませう。」と言つて、立ち去りました。その後、或日のこと、町の紳士達は自分の机の上に、誰が置いて行ったとも知れない手紙が載つてゐるのを見て、びつくりして開けて見ますと、それは坊さんからの招待狀でした。
 それで、その日町の人達が打ち揃つて、水面亭へ行つて見ますと、坊さんはやはり穢い着物を着たままひよろひよろと出て來て皆を迎へました。皆がお堂の中へ這入つて見ますと、部屋の中は空つぽで、椅子も何もありません。
「いやはや、これでは碌なもてなしは出來さうにもない。」と呆れ果ててゐますと、坊さんは客人達を振り返って、
「手前は貧乏ですから、召使がございません。どうか、お客人達のお供を拜借したいものです。」と言って、壁の上に一對の扉を描いて、指でこつこつと敲きますと、あら不思議や、その扉がぎーッと開きました。皆はびつくりして、驅け寄つて中を覗いて見ますと、どうでせう、紫檀の椅子や、眼もさめるやうな美しい覆ひのかかつたテイブルや、おいしさうな御馳走や、翦翠や琥珀を溶いたやうなお酒が、一ぱいに列んでをります。そこで、お供の者がそれ等をいちいち運び出して、やがて大きな宴會が開かれました。
 元來水面亭といふのは、大きな湖に面してゐて、每年七月頃には、紅白の蓮の花が、見渡すかぎり一面に、咲き亂れるのですが、丁度その時は、まだ春の初めで、やつと水がぬるんで湖の面が靑み渡り、岸の柳が美しい靑い糸をなびかせてゐる位でした。
 その時酒に醉つた一人の客が窓の方に寄つて、
「やあ、絶景々々、然し、花がまだ咲かないので淋しいなあ。」と申しました。皆も、こんな愉快な日に、湖水に花がないのは物足らないと思ひました。と、暫くして、一人のお供の者が驅け込んで來て、
「旦那、花が、花が……。」と申しますので、皆はびつくりして、窓を開けて眺めますと、湖面は千朶萬枝、白い玉を連ね、赤い焰が燃え立つたかのやうな花盛りで、南風がさはやかに頰を撫で、その良い香りは、心の底までしみ透るやうでした。
 客人たちは有頂天になつて早速供の者に舟を出させて、蓮の花を取りにやりました。眺めてゐると、舟はだんだん進んで、花の間をあちこちと漕ぎ廻つて、やがて花の中に埋もれたやうに見えました。暫くして舟は歸つて來ましたが、舟に乘つてゐた者たちは、ぽかんとして空手で岸に上つて來ました。皆がわいわい言つて罵りますと、蓮を取りに行つた者は、
「私共が、花が北にあると思つて北へ行つて見ると、いつの間にか消えて、南の方へ移つてをります。それで南の方へ漕寄せて見ますと、又いつの間にか消えてしまひます。」と言つて、ぼんやりしてゐます。客人たちがあきれ返つてをりますと、坊さんは、
「花は皆あなたがたの心の幻かな。」と言つて、からからと笑ひました。そして、酒盛が終る頃には、北風がさつさつと吹き起つて、焰のやうな花も、一面に湖を覆つてゐたみづみづしい葉も、ふつと搔き消すやうに消えてしまひました。

   三

 かういふことがあつて以來、町の長官は非常に坊さんを尊つて、自分の屋敷に連れて歸つて、毎日一緖に語るのを樂にしてゐました。
 或日、その長官の家に客があつて珍重してゐた良いお酒を出しました。然し、長官はいつもそのお酒を惜しんで、ちびちびしか出さないのです。お客がもつと飲みたがると、いつも、
「もうおしまひおしまひ。」と言つて手を振りました。その日も、お客が酒を飲み足らなさうにしてゐると、傍に居た坊さんが笑ひながら、
「私も一ばい御馳走をしませうかな。」と言つて、テイブルの上の德利を、自分の袖の中に入れて、又直ぐ取り出して、皆についで廻りますと、酒はいつまでもつきないで、後から後から、こんこんと湧いて出ました。客人たちはあつけに取られましたが、さて味つて見ると、前の酒と、香りといひ、味といひ、ちつとも變りません。皆は十分に醉ふまで飲んで歸つて行きました。
 これをぢつと見てゐた長官は、これは坊さんが妖術を使つて、きつと自分の酒を盜んだに違ひないと、穴蔵へ行つて調べて見ますと、瓶の封はちやんと元のままであるのに、中の酒は一滴もなく、空つぽになつてゐました。これを見た長官はかつと怒つて、
「おのれ、恩知らずの、横着者め。」と言つて、杖をとつて打ちますと、返つて自分の腰に、びんと痛みを感じました。二度三度鞭打つてゐるうちに、坊さんがうんうんうなつて苦しがると同時に、自分の腰の肉も裂けて、だらだらと血が流れて來るので、どうにも爲樣がなく、鞭打つことをやめて、坊さんを表へ追つ拂つてしまひました。
 坊さんは表へ出たかと思ふと、風のやうにどこへ行つたか解らなくなうました。そして再びもうこの町へは姿を現しませんでした。
 それからずつと後に、この町の人が、南京といふ所へ行つたことがありましたが、或街角で、ひよつくり、その坊さんに逢つたといふ事です。その時、坊さんは元のやうに、ぼろの着物を着て、繩の帯をしめてゐたさうです。そして、何を訊ねても、ただ笑つてばかりゐて答へなかつたさうです。(をはり)


伊藤貴麿関連資料(1)「虎の改心」

ニュース twitterでお知らせしたとおり、柏書房から『赤い鳥事典』が出版され、私も「伊藤貴麿」の項目を担当させていただきました。伊藤貴麿は岩波少年文庫『西遊記』の翻訳で知られている児童文学家・翻訳家で、『西遊記』の他にも数多くの童話作品や翻訳などを発表し、1967年に亡くなっています。

赤い鳥事典』の原稿を作成する際に、副産物としていろいろな資料ができたのですが、そのまま放っておくのももったいないので、サイトで公開したいと思います。

まずは彼の文章から。『赤い鳥』第11巻3号(1923年9月)に掲載された「虎の改心」です。『聊斎志異』の「趙城虎」を原作として「自由訳」したものとなっています。この作品は『赤い鳥』掲載後も『孔子さまと琴の音』(増進堂、1943年)など、何度か童話集に収められています。ここでは、『赤い鳥』掲載時の文章をテキスト化したものを載せたいと思います。

テキスト化にあたっては、表示の関係で「々」以外の踊り字は通常の文字になおし、ルビを省略してありますが、その他のかなづかいや、使用されている語句等につきましては、そのままにしてあります。そのため現在の基準からすると不適切な表現も見られますが、あらかじめご了承ください。

なお、伊藤貴麿及び、「虎の改心」についての詳細は、是非『赤い鳥事典』でご確認ください(笑)。

虎の改心     伊藤貴麿

   一

 昔支那の趙城といふところに、正直な一人のお婆さんが住んでをりました。もう年は七十二三で、よぼよぼしてゐましたが、その獨り息子が大へん孝行者だつたので、安樂にこの世を送つてゐました。
 所がある日、その息子が山へ登つたきり、ふつつりとどこへ行つたものか姿が見えなくなりました。お婆さんは每日々々悲しみに暮れて、可愛い息子の歸りを待つてゐましたが、とうとう歸つて來ませんでした。多分、近所の山に住んでゐる、恐しい虎に喰はれたのであらうといふことでした。お婆さんはいつ迄も泣き悲しんで、近所の人も慰めやうもない有様でした。
 或日、お婆さんはもう氣違ひのやうになつて、町のお役所へ駆け込んで、わんわん泣いて、お役所の長官に訴へました。
「お婆さん、お氣の毒ぢやが、虎にはどうも法律はあてはめられんからなァ。」
 長官はうるささうにかう言つて、お婆さんに取り合ひませんでした。お婆さんは淚ながらに、長官の袖にすがつて、どうしても放しません。
「うるさい奴ぢや。こりやこりや、この婆ァを追ひ出してしまへ。」と、長官は怒つて呶鳴りましたが、
「お願ひでございます。お慈悲を下さりませ。」と、お婆さんは體を震はし、ぢだんだ踏んで泣き叫んでやみません。長官も困りはてましたが、正直さうな可哀さうな、こんな年寄りに、ひどいことも出來ませんので、とうとう虎狩りをすることを約束しました。が、お婆さんは、虎狩りの命令書が出るまではどうしても歸らないと言つて動きません。仕方がないので長官は左右にゐた役人共に申し渡しました。「どうぢや、お前たちの內に、虎を生捕りにして來る者はないか。」
 すると、「高が虎一匹、俺樣が出掛けりや譯はねえ。」と、長官の側にゐた、その日何かのお祝ひの酒に醉つぱらつてゐた一人の役人が申しました。そこで長官は、虎狩りの命令書を書いて、その男に下げました。お婆さんは喜んで、何度も何度も、お禮を言つて歸つて行きました。

   二

 その役人は、家に歸つて、酒が醒めてから、命令書の事を思ひ出して眞蒼になつて慄へ上りました。が、これはきつと、長官がお婆さんの前で、一時しのぎに餘儀なくしたことに違ひないと思ひ直しました。そして、翌る朝役所に出るとすぐに、長官に命令書を返上しようと致しました。すると、長官は眞赤になつて彼を睨み附けて
「こりや、貴様は昨日、あれ程の大言を吐いたぢやないか、この橫着者め。一たんお上が命令書を出して、それを引つ込められると思ふか。」と、大へんな劎幕で叱り付けました。役人は縮み上つて、爲方なく大勢の獵師を雄めて、しぶしぶ虎狩りに出ることになりました。
 彼は每日每夜、山を駈けたり谷に寝たりして、虎を搜しましたが、なかなか見つかりませんでした。
それかといつて、歸つて來れば、長官が鞭で、びしびし打つにきまつてゐますので、どうすることも出來ません。一月餘りも一生懸命に狩り暮したあげく今はもう望みも絕えてしまひました。或日、途方に暮れた彼は、山のお社の前に獨り額づいて、悲しげな聲を絞りながら、絕え入らんばかりにお祈りして虎を授るやうに願ひました。
 暫くして、彼がやつと身を起して、お社の門を出ようとしますと、不思議や、突然虎が立ち現れて、こちらへのそのそと近附いて參ります。彼はびつくりして立ちすくみ、わなわなと慄へ出しました。しかし、虎は別に飛びかからうとはしないで、そこにおとなしくうづくまつて、彼の方を何か意味有りげにぢつと見上げてゐました。それで彼もだんだん氣が落着いて來て、わざと威高げになつて申しました。
「こりや、こないだ人を喰つたのは貴様だらう。さあ、さつさと俺の繩にかかつてしまへ。」
 實は彼は、虎に打ちかかつても、とても勝てさうになかつたので、慄へながら空威張りにかう言つて見たのです。すると不思議なことに、虎は眼を伏せて首を縦に振り頷いて見せました。そこで彼は、おづおづと近附いて、びくびくしながら繩をかけました。引き立てて見ますと、まるで犬のやうにおとなしく彼について步き出しました。
 彼はその虎を引いて山を下り、長官の前へ出て、長官にこの不思議な話を致しました。
 長官は虎を柱に縛つて置いて、早速お婆さんを呼びにやりました。お婆さんは喜んで飛んで來て、
「さあ、仇敵を打つて下さい。虎を殺して下さい。」
と、虎を見て一づに急き込んで言ひました。しかし長官は、山のお社にお祈りしたら、虎が自分から出て來て、おとなしく縛られたといふ話を聞いてゐますので、うつかり早まつて虎を殺すことは出來ないと思ひましたので、虎によく言つてきかせるやうに口を開きました。
「お前は、人を喰ひ殺せば、又お前も殺されることを知つてゐるだらう。」
 すると、虎はちやんとその言葉が解つたやうに、しきりに首を振りました。長官はますます不思議に思つて又言ひました。
「お前は一人の男を喰ひ殺したばかりぢやないぞ。このお婆さんは、可愛い息子をお前に喰はれたので、もう生きてゐる甲斐もないのぢや、それに息子を失へばもう誰もこのお婆さんを養ふ者もないのぢや。」
 かう長官が虎に言つてきかせますと、虎は後悔したやうに、だんだん頭を下げて、面目なささうに小さくなつてうづくまりました。長官は世にも不思議なことがあるものだ、この虎はきつと山の神様の家來に違ひない、と思つて、どうか命だけは助けてやらうと思ひました。それで、
「こりや、お前は、お前の喰つた息子の代りになつて、このお婆さんが養へるかどうぢや。もし、きつと養へると誓へば、放してやるがどうぢや。」
 すると、虎は又頷きました。それで長官は家來に命じて、虎の綱を解いて、自由にしてやりました。虎は幾度も振り返り振り返り、のそのそと山の方へ歸つて行きました。すると、お婆さんは躍起になつて、
「どうぞ、仇敵を取つて下さい。虎を殺して下さい。」と、せがみましたが、長官は色々となだめて、いつ迄も繰り言を言つてゐるお婆さんを、無理やりに追つ拂つてしまひました。お婆さんは爲方なく、しぶしぶ自分の家へ引取りました。
 あくる朝、お婆さんが家の戶を開けますと、門口に生々しい鹿の死骸が橫になつてゐました。お婆さんはびつくりしましたが、よく考へて見ると、それは昨日の虎が持つて來てくれたに違ひありません。お婆さんはその鹿の肉や皮を賣つて、暮しのお金を得ました。それからも、時々色んな獸がお婆さんの門口に置かれるやうになりました。お婆さんはそれを賣つては、お金に換へますので、前に息子が働いて養つてくれた時よりも、暮しは却つて豐になつてお金も溜るやうになりました。それでお婆さんは、虎を自分の息子のやうに可愛がるやうになりました。虎も時々、晝の間でもお婆さんの所へやつて來て、一日中軒の下などに寢たりしてゐるので、しまひには、近所の人も、犬や猫なども、虎をちつとも恐がらないやうになりました。
 四五年經つて、お婆さんが死んだ時には、溜つてゐたお金で、立派な葬式が出た程でした。葬式の日町の人たちがお婆さんの死骸を立派な棺に納め、大勢で擔いで郊外へ行き、土饅頭を拵へて、いよいよ棺を納めようとしてゐますと、二三日前から姿を見せなかつた虎が、急に山からまつしぐらに飛んで來て、みんなの間にばつと飛込みました。みんなは思はず、あつと聲をあげて逃げまどひました。と、虎はいかにもしほしほとして、塚の前に這つて行つて「ウオウウオウ。」と、悲しげな聲を張り上げて嗚きました。そして一と晩中、嗚き續けてゐました。その何とも言へない悲しい聲は、町中によつぴて轟き渡つてゐました。
 その後、虎はどこへ行つてしまつたのか、町の人は誰も姿を見なかつたさうです。今でも、この趙城へ行くと、町の東のはづれに、この虎を祭つた、「義虎祠」といふお堂が建つてゐるさうです。(をはり)