貫華齋

西遊記・金聖歎・中国古典小説

水滸伝

水滸伝の版本について

少し前の話になりますが、 北方水滸伝のサイト にある「推薦文」の項をみていて、ちょっとびっくりしました。陳舜臣氏がこんなことを書いていたので。

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この前半部分、普通に読んだら七十回本→百回本→百二十回本の順に水滸伝ができたという意味だと思いますよね。でも、ご存じの通り、そういう順番ではありません。っていうか陳先生自身、水滸伝を七十回にしたのは金聖歎だと 『 ものがたり水滸伝 』 の 「 読者へのことば 」 の冒頭で書かれています。

一応「~回本」とはしないで、「~回」と書いてはありますので、七十回・百回・百二十回というのは版本ではなく、百二十回本中の回数のことかとも考えましたが、それだと 「 豪傑の総登場で水滸伝七十回は終わった 」 という部分の意味がよくわかりません。 「 総登場 」 というのが 「 梁山泊大聚義 」 を指すのだとすると、百回本や百二十回本では第七十一回にあります。第七十回までだとキリが悪くて終われないです。

そこで、もしかすると知らない間に 「 七十回本→百回本→百二十回本 」 の順に水滸伝ができたというのが定説になったのかと、私よりこのあたりに詳しそうな他の研究者に尋ねてみたのですが、そんなことはないだろうというお返事。そうですよねー。

で、次に思い出したのが、金聖歎以前に七十回本があったと主張した1998年の論文 ( 周岭 「 金圣叹腰斩《水浒传》说质疑 」 ) 。もしかするとこれによったのかと思い、読みかえしてみましたが、百回本から七十回本を作ったと書いてあり、七十回本から百回本とは書いてなかったです。

うーん、結局、陳先生が上のように書かれた理由はわかりませんでした。やはり単なるケアレス・ミスでしょうか。
ちなみに、上述の周岭論文には、百回本から七十回本が作られたと書いてあったのですが、それもおそらく間違い ( ただし上の論文ではそういうことにしないと辻褄が合わない ) で、内容を見比べると、七十回本は百二十回本からできたと考える方が自然だし、それが定説になっているはずです。

周氏と同じ間違い ( 百回本→七十回本 ) は王勇氏 ( 『 北方水滸伝読本 替天行道 』 に北方謙三氏との対談が収められている浙江大学教授 ) の 「 中日文化交流史 」 というサイトにある、 「 水滸伝のテキスト 」というページの説明にも見られます。王氏のサイトには参考になるところもありますが、少なくともこのページに関してはおかしなところがいろいろと見受けられます。おそらく 「 繁本 」 ( 一般的にいう文繁本 ) 百二十回本が話から抜け落ちているの位置づけが間違っているのが最も大きな原因ではないかと思いますけど。

著名な方が書かれた内容でも、鵜呑みにはできませんね。