『 僕たちの好きな水滸伝 』 に掲載された文章(1)「はじめに」

 宋の時代、百八人の好漢が梁山泊に集結し、宋江を首領とした盗賊団となる。朝廷は幾度かの討伐に失敗した後、彼らの罪を許し官軍とする。官軍となった宋江らは、隣国への遠征や国内の乱平定に活躍する。しかし、この戦いで好漢たちの多くが離散し、凱旋した宋江らも奸臣によって殺される。
――以上が『水滸伝』の極めておおまかな概要である。

 このようなストーリーの『水滸伝』がまとめられたのは明代である。嘉靖年間の書物に「忠義水滸伝 百巻」とあるので、遅くともこの頃には書籍として成立していたのであろう。全文が現存する版本の中では、万暦年間に刊行された全百巻全百回の版本(分巻百回本)が最も古い形を伝えると考えられている。

 作者については、版本によって施耐庵や羅貫中、さらには両者を併記するものまであり、詳細は不明である。また著作権の考え方も希薄な時代であったから、多くの書肆から様々な『水滸伝』が刊行された。例えば文章をダイジェストした版本(文簡本。p.71参照)、梁山泊軍が賊を平定する場面(田虎・王慶討伐)を追加した版本(文簡本および百二十回本)などである。中でも画期的なのが百八人の集結を以て物語が終る七十回本である。これはストーリーこそ短いものの、本文は整えられ、評(コメント)や序文も詳細なものがそえられており、そのスタイルは『三国志演義』や『金瓶梅』など、他の小説の流布本にも影響をあたえた。

 七十回本の刊行後も、百二十回本から再び田虎・王慶討伐を削除した百回本(不分巻百回本)が刊行されるなど、集結以後を含む版本も読まれていたようだが、次第に七十回本が定本化し、様々な理由から清末にはほぼ他の版本を駆逐するに至る。

 そしてこのことは、好漢たちが梁山泊に集う過程を描いた前半部だけでも、『水滸伝』が多くの読者を魅了し得たことを意味する。

 その魅力を生み出した要因の一つは題材にある。『水滸伝』の母胎は、長編の歴史講談や歴史書ではなく、個人や小グループを主人公とした短編の講談や戯曲である。そのため、主立った好漢はそれぞれ主役をはれる魅力を持ち、各エピソードも独立した作品として楽しめる。しかも全体としては、百八人が梁山泊に集ま(りやがて離散す)るという大きな流れの下、複雑に絡み合う好漢たちの運命の糸が、見事に編み上げられているのだ。

 本書は、その構成の妙を味わえるように本編を区分けし、魅力的な登場人物たちの一人一人に解説を加え、さらに愛読者の方がより一層楽しめるようなコラムも満載した。読者の皆様が『水滸伝』を味わう一助となれば幸いである。