伊藤貴麿関連資料(5)「菊姫物語」

伊藤貴麿関連資料の5回目は、今回も翻訳で、講談社の絵本177『菊姫物語』(大日本雄弁会講談社、1957年)から「菊姫物語」です。絵本なので本当は絵があった方がいいのですが、絵(石井健之)は著作権が残っていますので、文のみ掲載します。
原作は『聊斎志異』の「黄英」ですが、特に途中からは、かなり話が違いますので、原作と読み比べてみるのも良いでしょう。この話の原文どおりの翻訳は、岩波文庫の『聊斎志異』下(立間祥介編訳)に収められています(p.377)。
なお、伊藤貴麿はこの本の解説で、『聊齋』について

この本は、恐ろしい話ばかりにみちていると思っている人もいますが、なかなか純情な妖精の話も多く、この「黄英」ほか、「竹青」「花姑子」など、蒲松齢の筆になる妖精類には、暖かい血がかよっていて、そこが同類の中国小説中でも特にすぐれた点であります

と、述べています。

菊姫物語     伊藤貴麿

p.2
ちゅうごくの じゅんてんと いう ところに、ひとりの おじいさんが すんで いました。おじいさんは、かわいい ひとり むすめの すいらんを なくして、たいそう かなしんで いました。
おじいさんは、まえから、きくを つくるのが たいへん じょうずでしたから、あるひ、ふと きくを つくって こころを なぐさめようと おもいたちました。そこで、めずらしい たねを かいに、はるばる ナンキンへ でかけました。
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伊藤貴麿関連資料(4)「畫皮」

前回に続いて、雑誌『新小説』第27巻8号に掲載された「聊齋妖話」から「畫皮」です。
「聊齋妖話」には、前回の「胡四姐」と、この話が収められています。今回の方がちょっとエグいかも。また、現在の基準からすると不適切な表現も見られますが、あらかじめご了承ください。

聊齋妖話     伊藤貴麿

畫皮

 太原の王生と云ふ者が、未明に表に出た所が、一人の娘に遇つた。包みを抱へてたつた一人で急ぎ乍ら、甚步きにくさうにして居る。生は急ぎ走つて追い着いて見ると、十六ばかりの嬌娜姿である。心が切りに動いたので聲をかけて見た。
「姐さんはどうしてこんな夜明に、獨りで行きなさるんだい。」
すると女は云つた。 “伊藤貴麿関連資料(4)「畫皮」” の続きを読む


伊藤貴麿関連資料(3)「胡四姐」

伊藤貴麿関連資料の3回目。今回は雑誌『新小説』第27巻8号に掲載された「聊齋妖話」から「胡四姐」です。
「聊齋妖話」は、その表題のとおり、『聊齋志異』を訳したもので、この話と「畫皮」が訳されています。今回はそのうち、「胡四姐」の部分のみを掲載しました(「畫皮」は次回)。
なお、踊り字(繰り返し記号)は通常表記にし、Unicodeに無い異体字は正字を使用しましたが、それ以外は原文どおりです。

聊齋妖話     伊藤貴麿

胡四姐

 泰山の尙生と云ふ靑年が、獨り靜かに書齋に籠つて居た。恰度頃は秋の夜で、銀河は高く澄み、明月は耿々として天に懸つて居たので、彼は花蔭を俳徊して、切りに空想を恣にして居た。と忽然として一人の女が垣を踰えて來て、
「秀才《あなた》は何をそんなに考へて被居るの。」
 と云つて、につこりした。彼がよく視ると、其の姿の美しいこと、まるで仙女のやうだつたので、非常に喜び、書齋に連れ込んで懇ろになつて了つた。 “伊藤貴麿関連資料(3)「胡四姐」” の続きを読む


伊藤貴麿関連資料(2)「水面亭の仙人」

伊藤貴麿関連資料の2回目は、前回と同じく『赤い鳥』に掲載された文章、第10巻6号(1923年6月)掲載の「水面亭の仙人」です。これも『聊斎志異』を原作として「自由訳」したもので、原作名は「寒月芙蓉」。この作品も『孔子さまと琴の音』(増進堂、1943年)を始め、いくつかの童話集に収められています。

今回も『赤い鳥』掲載時の文章をテキスト化したものです。原文からの変更点や、注意点につきましては、前回の投稿、伊藤貴麿関連資料(1)「虎の改心」をご覧ください。

水面亭の仙人     伊藤貴麿

   一

 昔支那に、老子といふ偉い仙人がありましたが、その方の敎が元になつて、後に道敎といふ敎が出來ました。道敎は、今でもさかんに支那人の間に信ぜられてをります。その道敎の修業をつんだ人で、昔から偉い仙人が澤山出ました。

 今から数百年前に、支那の濟南といふ所に、或一人の穢い坊さんが、ひょつくりやつて來ました。町の人々は、その坊さんがどこから來たかも、又、名は何といふのかも知りませんでした。坊さんは夏冬なしに、袷をたつた一枚着たきりで、黄色い繩の帶を締めてゐました。別に下着も、ヅボンもはいてはゐません。髮はぼうぼうと生やしたまま、後に垂れて、よく馬鹿のやうに、その端を口に咬へたりしてゐました。いつも町をうろうろして、夜も、人の家の軒先などで寢てゐましたが、不思議なことに、冬雪が降つても、その坊さんの廻りだけはつもりませんでした。 “伊藤貴麿関連資料(2)「水面亭の仙人」” の続きを読む


伊藤貴麿関連資料(1)「虎の改心」

twitterでお知らせしたとおり、柏書房から『赤い鳥事典』が出版され、私も「伊藤貴麿」の項目を担当させていただきました。伊藤貴麿は岩波少年文庫『西遊記』の翻訳で知られている児童文学家・翻訳家で、『西遊記』の他にも数多くの童話作品や翻訳などを発表し、1967年に亡くなっています。

赤い鳥事典』の原稿を作成する際に、副産物としていろいろな資料ができたのですが、そのまま放っておくのももったいないので、サイトで公開したいと思います。

まずは彼の文章から。『赤い鳥』第11巻3号(1923年9月)に掲載された「虎の改心」です。『聊斎志異』の「趙城虎」を原作として「自由訳」したものとなっています。この作品は『赤い鳥』掲載後も『孔子さまと琴の音』(増進堂、1943年)など、何度か童話集に収められています。ここでは、『赤い鳥』掲載時の文章をテキスト化したものを載せたいと思います。

テキスト化にあたっては、表示の関係で「々」以外の踊り字は通常の文字になおし、ルビを省略してありますが、その他のかなづかいや、使用されている語句等につきましては、そのままにしてあります。そのため現在の基準からすると不適切な表現も見られますが、あらかじめご了承ください。

なお、伊藤貴麿及び、「虎の改心」についての詳細は、是非『赤い鳥事典』でご確認ください(笑)。

虎の改心     伊藤貴麿

   一

 昔支那の趙城といふところに、正直な一人のお婆さんが住んでをりました。もう年は七十二三で、よぼよぼしてゐましたが、その獨り息子が大へん孝行者だつたので、安樂にこの世を送つてゐました。
 所がある日、その息子が山へ登つたきり、ふつつりとどこへ行つたものか姿が見えなくなりました。お婆さんは每日々々悲しみに暮れて、可愛い息子の歸りを待つてゐましたが、とうとう歸つて來ませんでした。多分、近所の山に住んでゐる、恐しい虎に喰はれたのであらうといふことでした。お婆さんはいつ迄も泣き悲しんで、近所の人も慰めやうもない有様でした。
 或日、お婆さんはもう氣違ひのやうになつて、町のお役所へ駆け込んで、わんわん泣いて、お役所の長官に訴へました。
「お婆さん、お氣の毒ぢやが、虎にはどうも法律はあてはめられんからなァ。」
 長官はうるささうにかう言つて、お婆さんに取り合ひませんでした。お婆さんは淚ながらに、長官の袖にすがつて、どうしても放しません。 “伊藤貴麿関連資料(1)「虎の改心」” の続きを読む