今回は、雑誌『新小説』28巻8号(大正12年8月)に掲載された「緑蔭雑筆」から「王桂菴」を載せます。これも『聊斎志異』の「王桂菴」の翻訳になります。同じ年の6月には『赤い鳥』に「水面亭の仙人」を、9月には「虎の改心」を掲載していて、この時期は『聊斎志異』を好んで訳した時期ということが言えそうです。
綠蔭雜筆 伊藤貴麿
王桂菴
名家の出で、王穉、字は桂菴といふ者があつた。或る時南に遊んで、舟を河岸に着けて居ると、隣りの舟に榜人(せんどう)の娘が居て履(くつ)を縫取りして居た。其の姿はなかなかあでやかだつたので、王は切りに盜み視て居たが、娘は鳥渡も氣が付かないものゝやうであつた。そこで王は、
洛陽女兒對門居、と、王維の詩を吟じ出した。娘に聞かせようとしたのである。すると娘は、自分に對して王が云つて居る事を知つて、鳥渡首を舉げて、ちらりと流し目に見たが、又首を垂れて、元のやうに履を縫ひ取り爲初めた。 “伊藤貴麿関連資料(7)「王桂菴」” の続きを読む