奥野信太郎訳「新訳西遊記 豚が道普請をした話」について

同学社の発行する「TONGXUE」第57(2019年春)号に、平井徹「奥野信太郎訳と『西遊記』」という文章が掲載されていました。これによると、「苦楽」という雑誌の第4巻第4号(1949年4月)に奥野信太郎訳西遊記が掲載されているということでしたので、「日本の古本屋」で検索してみたところ、それほど高価でもなかったので購入しました。また、検索時に、同1号にも奥野氏の文章が載っていることが判ったので、併せて購入したのですが、こちらに掲載されていたのは「柘榴の庭」という小説で、これはこれで面白かったものの、西遊記の翻訳ではありませんでした。

平井氏も書かれているとおり、「苦楽」 第4巻第4号に掲載された「新訳西遊記 豚が道普請をした話」(以下「新訳」)は、『西遊記』第67回「拯救駝羅禪性穩 脫離穢汚道心清」、いわゆる「稀柿衕(きしどう)」の話の全訳で、文末の「附記」にも「以上は西遊記第六十七回の全譯である」と、その旨記されています。

底本は、『西遊真詮』や『証道書』に無い箇所が訳出されていることから、繁本だと思われ、「附記」に、

最近わたしは明刻李卓吾本の西遊記を入手して、李卓吾の批評をおもしろく讀んでゐるが、およそこれら牽强附會の多い諸批評は、一のエッセイとしてみるとまた別の意味で興味の深いものである。

と、李卓吾評に触れているので、この明刊の李卓吾評本かもしれません。

さて、書籍として刊行されている奥野訳西遊記は、筆者の知る範囲では、以下の3冊があります。

このうち、3番目に挙げたものは絵本で、雑誌「苦楽」に掲載された「稀柿衕」の話は掲載されていません。そして、前者2冊は、「西遊記」はもとより、収録された他の作品(中国民話・中国少数民族民話・蒙古民話・朝鮮民話・台湾民話・東南アジア民話、訳者はそれぞれ異なる)も含めて全く同内容の本です。そしてこの2冊(以下まとめて「全集」とする)には「稀柿衕」の話が「ぶたの道ぶしん」として収められています。

そこで全集の文章が全訳とどのように異なるのか、少し比較してみました。その結果、どうやら全集に掲載された文章は全訳の文を抜粋してつないだもののようです。冒頭部分を例にとると、以下の全訳の文から、下線を引いた部分を抜き出してつなぎ、少し言葉を加えたり、表現を変えたりすれば(赤字の部分)、全集の訳文になります。

【全訳】
 さて三藏法師たち四人は、小西天をはなれ喜び勇で進んでいつた。かれこれ一月ほどの旅程を經て、ちやうど春も深まり花は散るころとなつた。樹々に綠のいろ濃く、雨後黄昏の、趣はまた格別であった。三藏は馬をとどめて、
 ――どうやら暮ちかいが、宿りはどこに求めたものぞ。
 ――お師匠さま御安心めされ、宿るところがなくともわれわれ三人はいささか腕におぼえもあります。猪八戒が草を刈り、沙悟淨が松の木を倒し、このわたくし奴が番匠の役を勤め、かうして草の庵を結びますならば、一年がほども滯泊は自在、お急きになるにもあたりません。
 と、孫行者がいへば八戒は
 ――兄貴、こんなところ泊れたものぢやねえ、虎狼に豹に蟲、魍魎木靈の妖怪だらけ、眞つ晝間だつて步きたかあねえものを、ましてや夜の泊りなんぞ‥‥
 ――馬鹿奴が‥‥出りや出るほど勇氣百倍、俺は大きな口をたたくわけぢやねえが、この棒が手にあるからには、たとひ天が落ちてこようつたつてどつこい支へてみせられるといふものさ。と行者はいつた。
 こんな論議をやつてゐる最中に、ふと間近かに一軒の山莊がみえた。行者は
 ――しめた!泊るところがあるぞ!
 ――どこに?と三藏。行者はかなたを指ざして
 ――あの樹立のなかは人家ではありませぬか、あすこへいつて一夜の宿を求め、明朝出立といたしませう。
 三藏は喜んで馬を急がせ、門前までいつて馬をおりた。門靡がかたく閉つてゐる。三藏が
 ――お賴み申します、お賴み申します。と
打ちたたくと、なかから一人の老人が出てきた。

【全集】
 さて三藏四人は、それからさらに旅をかさねるうち、いつしか冬はさり、春も花おちるころとなつた。樹々に綠のいろ濃く、雨後黄昏の趣はまた格別であ。三藏は馬をとどめて、
「どうやら暮ちかいが、こよいはどこにとまろうか。」
みれば間近かに、一軒の山莊がある
「しめた!泊るところがあるぞ」
と、悟空がかなたを指させば、三藏は喜んで馬を急がせ、そのその門前にきて
「お賴み申します、お賴み申します。」
と、とびらをたたくと、なかから一人の老人が出てきた。

といった感じです。また、引用真ん中あたりの、「お師匠さま御安心めされ」~「こんな論議をやつてゐる最中に、」の部分のように、全集では大胆に切り捨ててしまったところも見られます。

これらはおそらく、他の章との分量のバランスや、子ども向けであること、10年以上の時を経て言葉遣いが変化していること、などを考慮してなされた編集であろうと考えられますが、私のように既に大人であり、この時代の文章にもある程度慣れている者としては、やはり「全訳」のような省略の無い形のものの方がうれしいです。

全集には、五行山以前の部分や平頂山(金角・銀角)、火焔山(牛魔王)など、稀柿衕以外の部分も当然掲載されているのですが、これらの部分やそれ以外の部分で、もし全訳されたところあるのだとしたら、是非読んでみたいところです。

前掲平井氏の文章に、西遊記の全訳が「中央公論社から刊行される予定であったそうだが、結局未完のまま出版されずじまいになってしまった」と書かれていましたが、たとえ未完であっても、出来たところまででも読んでみたかったなあ、と思います。翻訳がある程度まで進んでいれば、西遊記の場合「三蔵一行の旅は、まだまだ続くのであった」とか「天竺はもう目の前である」といって終わらせることもできる訳だし...。

原稿が残ってて、どこかから出ないですかね?