貫華日記Ⅱ

伊藤貴麿関連資料(2)「水面亭の仙人」

伊藤貴麿関連資料の2回目は、前回と同じく『赤い鳥』に掲載された文章、第10巻6号(1923年6月)掲載の「水面亭の仙人」です。これも『聊斎志異』を原作として「自由訳」したもので、原作名は「寒月芙蕖」。この作品も『孔子さまと琴の音』(増進堂、1943年)を始め、いくつかの童話集に収められています。

今回も『赤い鳥』掲載時の文章をテキスト化したものです。原文からの変更点や、注意点につきましては、前回の投稿、伊藤貴麿関連資料(1)「虎の改心」をご覧ください。

水面亭の仙人     伊藤貴麿

   一

 昔支那に、老子といふ偉い仙人がありましたが、その方の敎が元になつて、後に道敎といふ敎が出來ました。道敎は、今でもさかんに支那人の間に信ぜられてをります。その道敎の修業をつんだ人で、昔から偉い仙人が澤山出ました。

 今から数百年前に、支那の濟南といふ所に、或一人の穢い坊さんが、ひょつくりやつて來ました。町の人々は、その坊さんがどこから來たかも、又、名は何といふのかも知りませんでした。坊さんは夏冬なしに、袷をたつた一枚着たきりで、黄色い繩の帶を締めてゐました。別に下着も、ヅボンもはいてはゐません。髮はぼうぼうと生やしたまま、後に垂れて、よく馬鹿のやうに、その端を口に咬へたりしてゐました。いつも町をうろうろして、夜も、人の家の軒先などで寢てゐましたが、不思議なことに、冬雪が降つても、その坊さんの廻りだけはつもりませんでした。 “伊藤貴麿関連資料(2)「水面亭の仙人」” の続きを読む