貫華日記Ⅱ

玄奘寺刊西川満訳『西遊記』全五冊について

ちょっとおもしろい西遊記が手に入ったのでご報告。

 

台湾中部の有名な観光地である日月潭の近くに、玄奘寺というお寺がありますが、そこが1984年6月に刊行した西川満訳『西遊記』全5冊です。

 

西川満(1908-1999)は、会津で生まれ、幼い頃に当時日本領だった台湾に渡り、台湾で育ち、早稲田大学に進学した後、帰台して台湾日日新報社に入社、文芸雑誌を発行するなど、終戦前の台湾の文壇で影響力を発揮した作家です。戦後は日本で活動しました。

 

彼が書いた「西遊記」は、彼が勤めていた台湾日日新報社から発行された『国語新聞』創刊号(1940.09.25)から「劉氏密」の筆名で連載を開始し、途中病気による休載や紙名の『皇民(みたみ)新聞』への変更などを経て、『皇民新聞』第423号(1943.06.18)にて381話で完結したものが最初です。

 

それに手を入れて、連載途中の1942年2月11日に臺灣藝術社から『西遊記』上巻が刊行されました。『わが越えし幾山河』(人間の星社、1983年)の記述によると(原本が見られないので、中島利郎氏の『台湾の児童文学と日本人』からの孫引きですが)、本来「上」「中」「下」の3冊にするつもりが、「上」巻が出たあとに、売れ行きが良いので全4冊にしてくれと言われ、「上」「元」「燈」「會」の4冊にし、さらに全5冊にしてほしいとこことで「上」「元」「燈」「大」「會」としたそうです。確かに、今回入手した本の、「元」巻(2冊目)に載っている「序」には次のような言葉がでています。

 

宮田彌太朗畫伯は、四冊の装幀として、上の巻に孫悟空、元の巻に猪八戒、 燈の巻に沙和尚、會の巻に三法師を描くといふ。善哉、この四冊を座右に具へ、不斷に四人の繪像を眺めて、われわれも亦、強く、明るく、正しく生きてゆかう。
つまり、この本のもとになった、臺灣藝術社版の2冊目が出た時(1942年5月)は、まだ新聞連載の途中でしたが、全4冊になることが決まった後、全5冊にしてほしいと言われる前の時期だったのでしょう。「大」巻(4冊目)に載っている「序」には次のような言葉がでています。

 

なほこの『西遊記』は、はじめ上元燈會の四巻に致す豫定で居りましたが、四巻ではたうてい収めきれなくなつてしまひました。それかと云つて、 せつかくの面白い物語を省略するのも残念に思ひますので、版元の希望もあり、上元燈大會の五巻に致すことにしました。
この「序」が書かれた連載終了後の1943年秋頃に(6月に終了した連載の分量を見て?)5冊になることが決まったのかな、と思います。

 

臺灣藝術社版全5冊のうち、「」・「」の2冊は、國立臺灣圖書館に所蔵されているようです(未見)。

 

日本への引き揚げ後、これを「百花の卷」「火雲の卷」「草龍の卷」の3冊にしたものが、1947年から1948年にかけて八雲書店から、そして新小説文庫131-133として、1952年に新小説社から刊行されています。ただし、これらは最初から全3冊にする予定ではなかったようで、新小説社文庫版版の「百花の卷」の「あとがき」には以下のように書かれています。

 

わたくしは「百花の卷」「火雲の卷」「草龍の卷」「瑠璃の巻」を編んだのでありますが、これが譯述にあたっては、清の悟一子、陳士斌の評のはいつた、光緒十年、上海掃葉山房版「西遊眞詮」を手もとに置き、この 氣もちのよい木版本を主とし、別に民國廿二年刊の廣益書局の活字本「西遊記」を参考としながら、いたずらに拘泥することなく、自分の思うままに筆を執りました。
ここで挙げられた「瑠璃の巻」は、鳥居久靖氏が「続・我が国に於ける西遊記の流行」で指摘されているように、どうやら刊行されなかったようで、どの目録にも見当たりませんが、3冊目に当たる「草龍の巻」が、原本第77~78回の「比丘国」の話で終わっていることからも、やはり出版予定はあったのだと思われます。

 

刊行された「百花」「火雲」「草龍」も所蔵図書館が少なく、国立国会図書館サーチで見つけられるのは、以下のようにそれぞれ幾つかの図書館のみです。

 

1947.05.30 八雲書店(1: 百花の卷)
1947(?) 八雲書店(2: 火雲の卷)
1948.09.01 八雲書店(3: 草龍の卷)
1952.01.25 新小説社、新小説文庫131(1: 百花の卷)
1952.04.05 新小説社、新小説文庫132(2: 火雲の卷)
1952.05.30 新小説社、新小説文庫133(3: 草龍の卷)
このうち、「新小説文庫131( 百花の卷)」だけは、私も所有しています。

 

その後、冒頭に述べたように、1984年6月に玄奘寺から刊行されたのが、今回入手した「西遊記」全5冊です。玄奘寺が付けた「序」に書かれた刊行の経緯によると、1983年の初め、台南の王彰さんという方が、「60年前」に「新聞に連載された絶版の日本語西遊記」を持ち込み、それを「東瀛の人士が我が国の名著を鑑賞し、研究する機会とし、さらに仏法の広がりを促進する」ために刊行した、との事です。

 

「60年前に」というのは記憶か印刷の誤りで、実際には40年前のもの。「絶版」とあるのは、持ち込まれたのが新聞ではなく、臺灣藝術社版の書籍だという事でしょうか。印刷は、後の4冊はあまり問題ないのですが、「上」だけは痛みが激しかったのか、p.224以降の偶数頁、2~4行目の3~15文字目あたりには、かけた部分の文字を後で埋めたため、意味が通じなくなっているところがあります。昔よく商品説明で見かけた、表記を誤った日本語みたいな感じです。

 

なお、その後この本を「上冊」「中冊」「下冊」の3冊にまとめたものが、1989年9月に出版され、日本では東京都立多摩図書館に所蔵されています。私の記憶では、表紙は同じだったと思います。コロナが収束したら、5冊本「上」巻の、読めなくなっている箇所が、3冊本では読めるようになっているのか確認しに行きたいものです。台湾へも『國語新聞』や臺灣藝術社版を探したり、玄奘寺で今でも売っているのか、確認しに行きたいです。もし、情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非ともご教示の程、お願いいたします。

 

参考文献
鳥居久靖「続・我が国に於ける西遊記の流行」(中文研究6、1966年)
中島利郎『日本人作家の系譜 日本統治期台湾文学研究』(研文出版、2013年)
中島利郎『日本統治期台湾文学研究 台湾の児童文学と日本人』(研文出版、2017年)



※書籍の刊行年が誤っていましたので、訂正しました(2024年2月22日)
※新小説文庫132・133の出版年月日に日付を追加(2024年8月22日)