大正から昭和にかけて活躍した作家に、宇野浩二(1891~1961)という人がいます(wikipedia)。「文学の鬼」と称された作家ですが、「宇野浩二は大正期の代表的な童話作家の一人であった」(中山際子「宇野浩二の童話―再話の方法―」東京工業大学人文論叢15、1989年)と評されているように、児童文学の分野でも知られた存在でした。
そして彼は、子ども向けの西遊記を数多く刊行しており、それらは高く評価されています。例えば鳥居久靖「再続・わが国における西遊記の流行―「少年西遊記」書誌―」( 中文研究9、1969年)の中で、宇野の西遊記は、
梗概訳であるが、筋の要点をたくみにとらえてのがさず、それでいて単なる記述に流れず、簡潔な会話のうちに、読物としての興味をもりこんでいく手ぎわはあざやかである。氏の作の生命が長いゆえんは、氏の文壇における声価も、あずかって力あるであろうが、単に、それのみではないと思われる
と評価されています。田場智子「日本における西遊記の翻訳―児童書を中心として」(『中国文化論叢』11、2002年)でも、
宇野浩二訳の児童向け西遊記は、『画本西遊全伝』の影響を受けた簡潔な文だけでなく、会話も挿入されたメリハリがあり面白味のある訳文になっている。更に大幅にエピソードを省略削除し、その分採り上げたエビソードを当時としては詳しく訳すなど、個性的な構成になっている。その後も宇野氏の翻訳は繰り返し出版され、また絵本としても西遊記を出版している
と、訳文の質の高さが評価されています。
また、堀誠「『西遊記』受容史の側面」(和漢比較文学叢書18『和漢比較文学の周辺』、1994年)では、
宇野の『西遊記』は、戦前戦後の半世紀以上にわたって読みつがれ、息長くその物語の流布浸透に貢献してきた類希な作といえる
と、日本の西遊記受容における重要性が指摘されています。
このように、宇野浩二によって書かれた西遊記の価値や重要性は、既にしばしば指摘されているのですが、「繰り返し出版され」たと言われるとおり、「宇野の西遊記」に該当する本は多数存在します。また、宇野自身が『西遊記物語』(大日本雄弁会講談社、世界名作全集14、1951年)に載せた、「この物語について」と題された文章に、この本が「三どめ」の「書きなおし」であることを述べていることから、それらが全て同じ内容という訳ではない事は明らかです。
そこで、まずは宇野浩二西遊記にはそもそもどのくらいの本があるのか、可能な限り列挙し、次にそれぞれの本の関係(どの本とどの本が同じ内容で、内容別にすると幾つの種類があるのか)を整理し、その後、種類ごとにその性格を明らかにしたいと思います。