「宇野浩二の西遊記」一覧

 「宇野浩二の西遊記」について考えるにあたり、まずは、彼の著述した児童書西遊記をひととおり挙げてみたいと思います。前項で掲げた中山論文や堀論文、鳥居論文でも、それぞれ多くの宇野浩二西遊記が挙げられているのですが、最も詳しいのは増田周子『宇野浩二文学の書誌的研究』(和泉書院、近代文学研究叢刊18、2000年)の「宇野浩二著作目録」だと思います。

 そこでまず、これを元にして、さらに井上が存在を確認したものを若干加えて(【追加】とした)、宇野浩二による西遊記を以下に列挙してみます。

A ・1920~1923年 「西遊記」(雑誌『童話』(コドモ社)への連載)
B ・1926年 『西遊記物語』(春秋社、世界名著撰家庭文庫)389頁
C ・1927年 『西遊記・水滸伝物語』(アルス、日本児童文庫36)118頁(西遊記部分のみの頁数)
D1・1932年 『西遊記物語』前篇(春陽堂、春陽堂文庫36)188頁
D2・1932年 『西遊記物語』後篇(春陽堂、春陽堂文庫37)198頁
E ・1936年 『西遊記』(小山書店、少年世界文庫2)156頁
F1・1939年 『孫悟空』(大日本雄弁会講談社、講談社の絵本95)92頁
F2・1940年 『孫悟空と八戒』(大日本雄弁会講談社、講談社の絵本149)76頁
G ・1941年 『西遊記』(主婦の友社、世界名作家庭文庫15)444頁
F3・1941年 『孫悟空(火ノ山ノマキ)』(大日本雄弁会講談社、講談社の絵本191)72頁
H ・1947年 『名作物語 西遊記』(光文社、少年文庫)214頁
I ・1948年 『西遊記』(弘文社)237頁
J1・1949年 『孫悟空』(大日本雄弁会講談社、講談社の絵本10)48頁【追加】
J2・1949年 『孫悟空と八戒』(大日本雄弁会講談社、講談社の絵本12)48頁
J3・1950年 『孫悟空 火の山の巻』(大日本雄弁会講談社、講談社の絵本20)48頁
K ・1951年 『西遊記物語』(大日本雄弁会講談社、世界名作全集14)374頁
L ・1954年 『さいゆうき』(筑摩書房、小学生全集56)195頁
M1・1956年 『孫悟空』(大日本雄弁会講談社、講談社の絵本560)48頁【追加】
M2・1956年 『孫悟空と八戒』(大日本雄弁会講談社、講談社の絵本582)48頁【追加】
M3・1956年 『孫悟空 火の山の巻』(大日本雄弁会講談社、講談社の絵本575)48頁【追加】
N ・1960年 『西遊記』(講談社、少年少女世界名作全集27)318頁
O ・1961年 『西遊記物語』(講談社、世界名作全集14)357頁【未見】
P ・1962年 『さいゆうき』(筑摩書房、新版小学生全集11)195頁
Q ・1962年 『西遊記』(講談社、少年少女世界名作全集27)318頁

なお、列挙しておいて何ですが、関連サイト「日本の児童書西遊記」で「宇野」あるいは「浩二」と入力して検索するとA・O・Q以外は出て来ます。

Aが出てこないのは「日本の児童書西遊記」が書籍を対象としたデータベースで、雑誌記事を入れていないからです。O・Qが入っていないのは、「日本の児童書西遊記」では同じ出版社の同じシリーズでシリーズ番号も同じものは同一本とみなしているからです。OはKと同じ「世界名作全集14」、QはNと同じ「少年少女世界名作全集27」なので同じものとして扱っています。実際、井上はQとNを両方所有していますが、同じ本と言ってよいもので、両者の違いは、奥付の発行年月日と定価、そして広告を見るとNで全32巻だった少年少女世界名作全集が、Qでは全42巻になっているという点だけです。

Oは未見ですが、近代文学館にはあるようです。Kと頁数が異なるのが気になりますが、Kの頁数は「この物語について」と「解説」を含んでいるので、それらを除けば同じぐらいの頁数になる計算です。このことと、出版社名が「大日本雄弁会講談社」から「講談社」に変わっているので(社名変更は1958年)、増田氏の目録では別物として扱ったのかもしれません。ただし、近代文学館のデータでは出版者の項目が「大日本雄弁会講談社」となっており、「奥付の初版は昭和26.3.10」、つまりKがOの初版であると書かれているそうです。この部分については、近代文学館で本を見る機会を得られたら、確認したいと思います。

逆に「日本の児童書西遊記」で別物として扱い、上の一覧にも追加したのは、M1~M3です。内容はJ1~J3と同じなのですが、シリーズ番号が変わっている(『孫悟空』なら12→560)ので、別にしています。

ともかく、上の一覧から、宇野浩二の手に成る児童書西遊記はおおよそ20回程度は刊行されていることが確認できました。これらの中で、O以降は宇野浩二没後に刊行されたものとなります。宇野浩二が児童書西遊記の世界において重要な位置を占める人物であったことは、この出版点数の多さからも感じ取れるのではないかと思います。

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