最初の事繁本、B『西遊記物語』(春秋社、世界名著撰家庭文庫)が刊行された翌年、1927年に刊行されたC『西遊記・水滸伝物語』(日本児童文庫)は、事繁本に比べて挿話が少なく、筆者が56に分割した挿話のうち、採用されているのは半分以下の27の挿話のみです(Cにリンクをはっておきます)。この本のように採用挿話数が少ないものを、採用挿話数の多い事繁本に対して「事簡本」と名付けておきます。
事簡本の中にも種類があるのですが、挿話の採用パターンがCと全く同じで、文章も概ね同様なのが、E・I・L・Oです。これらも事繁本の場合と同様に、Cに少し手を加え繰り返し刊行されたもの、即ち同一作品(の別バージョン)と考えられます。前々項の一覧から抜き出して、並べてみると以下の通りです。
- C・1927年 『西遊記・水滸伝物語』(アルス、日本児童文庫36)118頁E・1936年 『西遊記』(小山書店、少年世界文庫2)156頁
- I・1948年 『西遊記』(弘文社)237頁
- L・1954年 『さいゆうき』(筑摩書房、小学生全集56)195頁
- P・1962年 『さいゆうき』(筑摩書房、新版小学生全集11)195頁
これらの本は採用挿話が少ないだけではなく、文章も事繁本よりも簡略化されていることから、「文簡事簡本」と名付けておきます(以下「文簡本」と略します)。頁数を比べてみると、事繁本が300頁台後半から400頁台であるのに対し、文簡本は100~200頁台の分量となっています(まあ、頁数は版式によって変わりますが...)。
挿話の採用傾向を見てみると、文簡本でも、文繁本同様、孫悟空が五行山に閉じ込められるまでの部分や、孫悟空・龍馬・猪八戒・沙悟浄の弟子入り、雷音寺で取経に至り、唐に経典を伝え、一行が神仏となるエピソードなど、西遊記全体の構造を形成する上で、骨格となる挿話は全て採用されています。これらの挿話は全体型(第1部第2章4「挿話の採用パターン」参照)の西遊記を構成する上では、不可欠なものと言えます。
それに対して、西遊記の編纂において比較的増減が容易なのが、取経の旅の中で玄奘一行が難に遭う挿話(C04・06・08~37)です。取経の旅の部分は、玄奘たちを何らかの災難が襲い、それを解決し、また次の災難が起こるという単線的な構造になっているため、玄奘たちが出会う災難の数を増減させれば、全体構造を変えることなく頁数を調整することができるのです。その増減しやすい受難挿話の中で、文簡本に採用されているのは以下の6話です。
C09「五荘観の人参果」 / C13「紅孩児」 / C16「通天河の霊感大王」/ C19「西梁女人国と琵琶洞の蝎精」 / C21「火焔山の牛魔王」 / C28「獅駝洞の三魔王」
それでは、宇野浩二は文簡本編纂の際、どうしてこの6話を選択したのでしょうか? 挿話の選択理由か否かははっきりしませんが、実はこの6話には、ある共通点が有ります。
それは、6話全部が、災難を解決する時に神仏の助けを借りている挿話だということです。
- C09は観音菩薩が人参果の木を再生することによって、木の持ち主である鎭元大仙の許しを得、問題が解決します。
- C13・C16の紅孩児と霊感大王は、ともに観音菩薩によって退治されます。
- C19の蠍の魔物は、昴日星官に退治されます。
- C21の牛魔王は李天王の照魔鏡に照らされて降参します。
- C19の蠍の魔物は、昴日星官に退治されます。
- C28の三人の魔王は、釈迦如来が文殊菩薩と普賢菩薩を連れて登場したことで降参します。
このようにこれらの災難は、すべて神仏の助けによって解決されているのです。これは偶然でしょうか? 宇野浩二が面白いと思った話が、たまたま神仏の助けを借りている挿話ばかりだったのでしょうか? そうかもしれません。しかし、文簡本からは「偶然ではないのではないか?」と思わせるような様々な要素が見て取れるのです。次回はこの点について述べたいと思います。