本章のまとめ

ここまで、宇野の西遊記を分類してみましたが、その結果、西遊記の刊行は20回も行われているものの、本の種類としては4~5種(4種か5種かは、「腰斬型」を事繁本に含めるか否かによって変わります)であることがわかりました。

その中で、特に「繰り返し出版」され「読み継がれ」たといえる宇野浩二西遊記として、(1)事繁本(雑誌連載及び5回の書籍刊行、亜種としての腰斬本刊行)や(2)文簡本(5回刊行)が挙げられます。

(1)事繁本は西遊記全体から、幾つかの挿話のみを除いた、網羅的な本で、宇野浩二西遊記のスタンダードといえるものです。

(2)文簡事簡本は、採用挿話を減らし、文体も簡潔なものにしたダイジェスト版ですが、挿話の選択から細かな文章表現に至るまで「神仏を重視・尊重する」傾向がある、という内容面における特徴も見られました。

(3)絵本は、「講談社の絵本」シリーズの作品として、宇野浩二の嗜好に沿った挿話選択というよりは、絵になる場面を構想の中心に置いて書かれたものです。

(4)文繁事簡本は、採用挿話こそ少ないものの、文章は詳細になっており、田場智子氏が宇野浩二西遊記の特長として挙げた「大幅にエピソードを省略削除し、その分採り上げたエビソードを当時としては詳しく訳す」(前掲「日本における西遊記の翻訳―児童書を中心として」)という性格を、最も具現化している本だと言えます。この本は、当時体調が思わしくなかったとされる宇野浩二の最晩年に刊行されています。前項でも述べたとおり、新たな挿話を採用することも、文体を詳細なものにすることも、改編の方法としては手のかかるものです。この時期にどうしてこのような手のかかる本が作られたのでしょうか?

それを考えるためには、当時の西遊記翻訳界の全体的な状況を知る必要があると思われます。そして当時の西遊記翻訳界において着目されるべきは、岩波少年文庫版『西遊記』と、その編訳者である伊藤貴麿です。

次章では、この伊藤貴麿の訳業を西遊記翻訳史の中に位置づけ、それが宇野浩二の文繁事簡本刊行にどのような意味をもつのかについても、併せて考えてみたいと思います。

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