今回は、雑誌『新小説』28巻8号(大正12年8月)に掲載された「緑蔭雑筆」から「王桂菴」を載せます。これも『聊斎志異』の「王桂菴」の翻訳になります。同じ年の6月には『赤い鳥』に「水面亭の仙人」を、9月には「虎の改心」を掲載していて、この時期は『聊斎志異』を好んで訳した時期ということが言えそうです。
綠蔭雜筆 伊藤貴麿
王桂菴
名家の出で、王穉、字は桂菴といふ者があつた。或る時南に遊んで、舟を河岸に着けて居ると、隣りの舟に榜人(せんどう)の娘が居て履(くつ)を縫取りして居た。其の姿はなかなかあでやかだつたので、王は切りに盜み視て居たが、娘は鳥渡も氣が付かないものゝやうであつた。そこで王は、
洛陽女兒對門居、と、王維の詩を吟じ出した。娘に聞かせようとしたのである。すると娘は、自分に對して王が云つて居る事を知つて、鳥渡首を舉げて、ちらりと流し目に見たが、又首を垂れて、元のやうに履を縫ひ取り爲初めた。
王は益々もどかしくなつて、銀の小粒を一枚取つて、遙に之を投打つと、それが娘の裳裾の上に落ちた。と娩はそれがお金であるとも氣が付かないやうに、そ知らぬ風に投返したので、お金は岸邊に落ちた。そこで王はそれを拾つて、此度は金の腕環を擲げて、恰度娘の足許に落した。が、娘は相變らず仕事を續けた儘振り向かうとはしない。
其のうちに榜人が飾つて來たので、王は、其の腕環が發見せられて、叱られやしないかとやきもきして居ると、娘はすまして、それを足の下に隱して吳れたので、榜人は其の儘纜を解いて、流に從つて去つて了つた。
王は暫く惘然として、とつおいつして居た。王は其の時貰つた妻を失つたばかりだつたので、今良い配偶を得る機會を逸してはと、いちいち舟人達に訊いて見たが、誰も先きの人に就いて識つて居る者はなかつた。それで急に舟を返して、後を追つたが、旣に杳として其の行方を知る事が出來なかつた。それで不得已舟を返して、南の用事を果して、又北に歸る途に、河筋をいちいち詳しく訊ねたが知る所がなかつた。
王は家に歸つてからも、寢食を忘れる程、娘の事を思つて居た。翌年又王は、南に行く事があつたので、河岸で舟を買つてまるで家のやうに其の中に暮して、每日々々細心に行舟を調べて、やがて來往の舟の帆や楫を皆覺へて了ふ程であつたが、どうしても先きの舟は見つからなかつた。半年ばかりかうして居たが、遂に路金がなくなつたので、家に歸つて了つた。
王は家に居て、寢ても起きても、やはり其の事がしばらくも頭から去らなかつた。或る夜江村に行つた夢を見た。五六軒の家を過ぎてから、柴の扉が南向いて附いて居る家を發見した。門內には疎らな竹が籬をなして居たので、亭園であらうと思つて、其の中へ足を踏み入れた。と一株の合歡の樹があつて、今を盛りと紅い花が枝に滿ちて居た。
門前一樹馬纓花
と先人が咏じ出したのは、かうした趣でもあらうと、數步過ぎると、葦の籬は美しい色に光つて居た。又步を進めると、三本楹の北向の建物があり、開き扉が閉つて居た。又南に小さい建物があり、芭蕉の葉が窓を覆ふつて居た。王は身をひそめて窺つて見た。と衣桁が戶ロの所にあつて、美しい女の裳裾が掛けてあつたので、愕いて、これは女の居間近く來たわいと、引返さうとすると、屋內でも覺つた樣子で、走り出て、王を瞰下す者があつた。ふと見ると、ほんのり化粧をして、ちらりと窓からのぞいた姿は、夢にも忘れない舟中の人であつたので、喜んで奔り出で、こんなよいしほは亦とないかも知れないと、娘を抱かうとすると、恰度父が歸つて來たので、あつと愕くと、それが初めて夢であつた事が解つた。醒めてからも、邊りの景色から、何から何迄眼前にありありとして居た。王は人に話せば此の佳夢が破れるやうな氣がしたので、固く胸に秘して居た。
後一年ばかり經つて、再び鎭江に行つた事があつた。其の時、郡南の代々誼みを結んで居た、徐太僕から招待を受けたので、馬に乘つて出發した所が、ふと或る小村へは入つて行つた。其の途々の景色が、前に夢に見た所と髣髴して居て、或る門內に一樹の馬纓樹がある事迄、歴々一致して居たので、驚いて鞭を投げては入るて行くと、益邊りは夢其の儘で、建物の數迄一つとして違つて居ない。王はもう何の躊躇もなく、直ちに南向の建物の所へ行つて見ると、果して舟の中で見た娘が居た。娘は遙に王の姿を見て、驚いて立ち上つて、扉を以て身を遮り、「何所のお方ですか」と問ひ詰つた。
王は暫く立ちすくんで、これも又夢ではないかと疑ふばかりであつた。娘は王が段々近附いて來るのを見て、ぱたんと戶を扃して了つた。
「前に腕環を擲げた者を、憶えては被居いませんか。」
と王は云つて、自分がこれ迄どんなに思つて居たか、又、夢に迄見た事を述べた。と女は扉を隔てゝ、其の家柄を王に訊ねた。王が具にそれを答へると、
「立派なお家柄ですから、さぞかし美しい奥様もお有りでせうどうして妾になど御用が御座いますの。」
と娘は云つた。
「貴女の爲に、他の緣組はこれ迄固く拒んで居たのです。」
と王は答へた。
「本當で御座いませうか、それで貴郞の御心は解るとしましても、こんな事を父母に申しますのは、難しう御座いますわ。それに父母はこれ迄何軒も斷つて參つたので御座いますもの。」と娘は云つた。「金の腕環は此所に御座いますが、うつかりした事をすると駄目で御座いますわ。父母は今恰度親戚の方へ參つて居ります。貴郞今日は御歸りになつて、正式に納め物をなすつて、御申込みになれば、いゝと思ひますわ。もし變な事を遊ばしたら、それこそ自分で打壞しなさるやうなものよ。」
そこで王は急いで出ようとすると、娘は後から呼びかけて云つた。
「妾は芸娘つて云ひますの、姓は孟氏です。そして、父の字は江籬つて云ひますの。」
王は娘の言葉をきいて、江籬翁に逢つて、自分の家柄を話し來意を吿げて、百金を納めて結納としようとした。と翁は云つた。
「娘はもうちやんと決つて居ります。」
「いえ、私は十分則べて知つて居ります。どうぞお金を納めて下さい。どうしてさうお斷りなさるんです。」
「いや丁度話がまとまつて了つた所です。もう破約は出來ません。」
そこで王はすつかり力を落して了つて、別れを吿げて引返したが、どうも未だ眞實の事が解らないやうな氣がした。それで其の夜輾轉爲乍ら考へたが、誰も仲人になつてうまくやつて吳れる人がないので、先に行かうとした徐太僕に、此の事を打明けようと思つて見た。が又、榜人の娘を貰ふなど、と云つて徐に笑はれやしないかと心配したが、今はどうにも爲樣がないので徐の所へ行つて、賴み込んだ。すると徐は
「どうして早く俺に相談しなかつたんだ。俺とあの爺さんとは親類筋なんだよ。」
と云ふので、王は徐にいちぶ始終を話してきかせた。と徐はこれを聞いて、
「江籬は隨分貧乏はして居るが、もともと船頭ぢやなかつたんだ。お前何か失禮な事を云つて、失策したのぢやないかね。」と不審さうに云つた。そして、徐は長男を江籬の許に遣つた。
江籬は徐の長男に云つた。
「俺は貧乏こそして居るが、娘を賣り物にはしやしない。先きに王の若旦那が金で話をつけようとなすつて、俺が利を見ればきつと動かされるやうに思ひなすつたので、御斷りしたんぢや然し御尊父から話があつて見れは、間違ひもごわすまい。」とかう云つて、それから又、然し、娘もあれで又氣位の高い方で先き樣がどうのかうのと云ふ方ぢやから、鳥渡相談して見ずばなるまい。後で怨まれてもつまらんからね。」
かう云つて翁は立ち上つて、暫く奥へ這入つて行つたが、直ぐ出て來て、
「ハヽヽ上吉々々、御意のまゝぢや。」と手を振つて云つた。
そこで長男は期日を定めて、翁に別れて復命したので、王は立派な贈り物をとゝのへ、翁に結納を收めて、假に徐太僕の家を館として、結婚式を擧げた。
王は居る事三日にしてゝ岳文に別れを吿げて、北に歸 事になつた。夜舟の中に宿つた時、王は芸娘に云ひかけた。
「前にお前に遇つたのは此の邊だつたつけ。僕はあの時からゝお前をたヾの船頭の娘とは思つちゃ居なかつたのさ。あの日は舟に乘つて何所へ出掛けたんだい。」
すると娘は語り出した。
「妾の叔父の家が江北にあるので、舟を借りて訪ねて行つたのですわ。妾の家はどうかかうか暮しが立つ位でしたが、でも曲つた事は大嫌ひですの。あの時貴郞が大きな眼をきよろきよろさせて、お金なぞを擲げて妾の氣を引かうとなすつた時、そりや可笑しかつたわ。妾貴郞を輕薄な方だからあんな事をなさるんだと思つたのよ。でも初めて詩をお歌ひになつたのを聞いて、たしなみのある方だと云ふ事が解つたので、父に見附からないように腕環を隱してあげたのですわ。」
「成る程」と王は笑ひ乍ら云つた。「お前は堅いお孃さんだつたが、まあ結局僕の口車に乘つたやうなものさ。」
「どして?」
王は言葉を切つて答へなかつたが、娘がしつこく問ひ詰めるので、初めて口を切つた。
「もう段々家も近附いたし、何時迄も隱して置く譯にも行くまいから、本當の事を云ふが僕には妻があるんだよ。吳尙書の娘さ。」
芸娘は初めは王が笑談を云つて居るのだと思つて信じなかつたが、王が改まつて實を打ち明けるやうにしたので、顏色を變へて默り込んで了つたが、暫くして、急に立ち上つて、身を跳らせようとしたので、王 すかさず捕へようとしたが、もう其の時は、娘はざんぶと水中に飛込んで居た。王は大聲で周圍の船を呼んで、慌て騒いだが、夜の色は深く、たゞ滿江見渡すかぎり、星影のきらめき映つて居るばかりであつた。王は大いに嘆いて、終夜江に沿つて下つて、重賞をかけて其の死體をもとめたが、遂に發見する事が出來ながつた。
王は邑々として家に歸り、失望落膽、又、もし娘の實父の孟翁か娘を訪ねて來るやうな事があつては、どう云つたものかと心配した。それで王は姉壻が河南に居たのを訪ねて行つて一年餘りも滯在して初めて自家へ歸る事にした。其の送中雨に遇つたので民家に宿つた。其の家は部屋も廓下もさつぱりして居て厦の所で一人の婆さんが赤ん坊と遊んで居た 王が這入つて行くと、其の子供が妙に、王に抱つこして吳れとせがむやうであつた。王がよく見ると、非常に可愛いゝ兒だつたので、膝の上に抱き上げて愛撫した。それから、婆さんが幾ら呼んでも、王の膝から去らうとしない。其のうちに雨も降んだので、王は子供を婆さんに渡して、仕度をして其の家を出て行かうとすると急に子供が泣き出して、
「父ちゃん往く、父ちゃん往く……」
と云ふので、婆さんは氣の毒がつて、叱つたが、どうしても泣き止まない。それで無理に抱き取つて奧へ行つたが、王ももぢもぢして泣き止むのを待つて居ると、ふと美しい婦人が屛風の後から、先つきの子供を抱いて出て來た。と見ると、それは忘れもしない芸娘であつた。王は慌てゝ詫びようとすると、娘は罵つて曰つた。
「貴郞はひどい方ね。こんな子供迄こしらへて置いて、どうして下さるんです。」
王は喫驚して、それが初めて自分の子だと知り、胸の中は抉られる思ひで、其の後の事を問ふ間ももどかしく、前に云つたのは冗談で、本當に濟まなかつたと、天に誓つて云つたので、娘も怒りを解いて、嘆き悲しみ、二人は一緖に涙を流し合つた さて、芸娘から譯を聞いて見ると、此の家の主人といふのは、六十歲になつても子はなく、或る時老婦人と一緖に旅をして、歸りに河岸に舟を着けて居ると、其所へ恰度、芸娘が流れ來て主人の舟に觸れたのであつた。そこで老翁は僕に助けさせて、終夜介抱を加へたので、やつと蘇生したのであつた。そして老翁は自分の助けた女が、ひどく美しい娘だつたので、自分の娘として連れて歸つて養ひ、其のうち月日が經つて、婿を選ばうとしたが、芸娘は斷り續け、十ヶ月目に王の子供を生んだのであつた。其の子は寄生と名を附けられて、王が遇然其の家に雨宿りした時は、子供が生れてから滿一年目であつたのである。
王はかう云ふ譯だつたので、旅裝を解いて老夫婦に挨拶し、養父の禮を盡して、數日滯在し、それから、ニ人で自分の家に歸つて見ると、恰度娘の實父の孟翳が來て居て、もう二ケ月も待つたと云ふ事であつた。そして、翁は初め王の家に着いた時 僕達が取り亂して居たので、非常に怪しく思つたさうだが、かうして二人が歸つて來て、今迄の事を語つて聞かせたので今迄僕逹のうろたへて居た譯も解つて、皆一緖に喜び合つたと云ふ事である。