伊藤貴麿関連資料(9)「碁鬼」

今回も、過去2回と同様、雑誌『新小説』28巻8号(大正12年8月)に掲載された「緑蔭雑筆」から、「碁鬼」という賭け碁で死後も身を滅ぼした男の話です。原題は「棋鬼」。『聊斎志異』巻四に収められています。

綠蔭雜筆     伊藤貴麿

碁鬼

 揚州の梁公といふ將軍が、官を辭して鄕里に住つて、近所を廻つて每日酒を飮んだり、碁を打つたりして居た。丁度九月の九日の日、客と切りに黑白を戰はして居ると、一人の男がやつて來て、盤の側に立つて、熱心に見惚れて居た。容貌はやつれ襤褄を纏つて居たが、樣子が何となく奧床しく、文人のやうに思はれたので、公は叮嚀に座席を進めると、其の男も叮嚀に挨拶した。そこで公は、碁盤を指して曰つた。
「先生もきつと此の道をおやりになるのでせう。一番客人とお差しになつては。」

 其の男は初めは謙遜して居たが、遂に客の中の一人と局に向つたが、負けて了つた。そして、ひどく殘念で堪らない風で、もう夢中になり再び差して又負けた。公が酒を薦めても、飮まうともしないで、たゞ何時迄も打ち續けやうとする。其のうちに日暮になつて來たが、未だやめやうとはしない。最後に或る客と差して、もう一石で勝負が決らうとして居る時、其の書生は喫驚して立ち上つて、顏色を眞蒼にかへて了つた。そして急に公の前に膝を屈めて、
「どうか救つて下さい。」と云ひ出した。公も喫驚して、書生を扶け起して曰つた。
「遊び事ぢやありませんか。どうしたのです。」
「お願ひです。どうか圉人に言付けて、私の頸を縛らせないやうにして下さい。」
と書生は答へた。公は變に思つて、
「圉人つて一體誰です。」と訊いた。
「馬成です。馬成です。」
 さう云はれて見ると、公は前に馬成といふ馬丁を雇つたが、其の男は別に變つた事はなかつたが、十日に一度位づゝ、幽冥に行つて、捕吏の役を務めるといふ事であつた。公は書生の言葉を不思議に思つて、遂に人をやつて、馬成を見にやらした。所が馬成は二日前から眠つた切りであると云ふ事であつた。そこで公は兎に角馬成に自分の客人に無禮を働かないやうにと言付けさせ 嘆息して、先つきの書生はきつと、此の世の者ではなからうと思つた。
 翌日馬成が目を醒したので、公は此の事を詰つた。と馬成は話し出した。
「あの書生はもとは湖襄の者でしたが、賭け碁が好きで、財產をすつて了つたものだから、親仁が心配して、書齋の中に閉じ籠めて置いた事があつたのです。するとやつぱり垣を踰えてぬけ出していつて、賭博者と交るものだから、親仁が非常に怒つたが、どうしても止まらず、遂に親仁はそれを苦にして死んで了つたのです。そこで幽冥の王樣も捨て置けず、書生の命を縮めて、餓鬼道に墮して了つたのです。それから七年ばかりになります。所が丁度此の頃 山の神樣が立派なお室を建てたので死んだ文人達を招いて、其のお堂の記を作らせようとしたのです。そこで幽冥の王様は、あの男をも遣つて、其の賞によつて再び此の世に出してやらうと思つたのですが、途中で不意に怠つて了つて、期間を遲らしたのです。そこで山の神樣は幽冥の王樣に罪を着せるし、又王樣も怒つて、私達獄卒にあの男を捜させたのです。然し私は、貴下の言ひ付けもありましたので、あの男を繩を打つて引きなどはしなかつたのです。」
 こゝ迄馬成が話したので、公は、馬成に訊ねた。
「今あの男は 冥で何をして居るか。」
「今度はたゞの獄吏に墮されました。もういつ迄も此の世に出られつこはありません。」
 公はこれを聞いて嘆いて云つた。
「性癖が人を誤るのは恐しいものだなア。」


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