今回も、雑誌『新小説』28巻8号(大正12年8月)に掲載された「緑蔭雑筆」から、祠にまつられた女性に婿入りさせられる、「金姑夫」という話です。『聊斎志異』巻七に収められています。
綠蔭雜筆 伊藤貴麿
金姑夫
會稽に梅姑祠と云ふのがある。御神體は、もと馬と云ふ姓の女で、東苑に住んで居たが、許婚の夫が早く死んで了つたので、それから何所へも嫁せず、操を立て通して、三十歲の時死んだので、身肉の者が祠を立てゝこれを梅姑祠と云つたのであつた。
其の後、金生と云ふ者が、試に趣く途中、此所を通つて、ふと廟內に這入つて徘徊し、深く追慕冥想した事があつた。さて金生が夜眠ると夢に召使ひの者が來て、梅姑の命を傳へたので、それに從つて祠へ行つて見ると、梅姑が簷下に立つて待つて居て、笑ひ乍ら云つた。
「貴郞が今日妾の事を追慕して下すつて、眞に嬉しう御座いました。妾のやうな者でもお嫌やでなかつたら、どうか御側に置いて下さい。」
そこで金生は、唯はいはいと答へた。と梅姑は金生を送り出し乍ら
「貴郞の座が出來ましたなら、妾御迎へに參りますわ。」
と云つた。
金生は夢が醒めてから、それを氣持惡るがつた。するとその晚、村中の者が梅姑の夢を見て、梅姑がかう云つたのを聞いた
「金生と云ふ方が妾のお婿さんに成られたから、其の像を造つて下さい。」
村中の人の夢が皆同じだつたので、村民達は驚いたが、村の長老は神樣を穢す怪しからぬ事と思つて、其の命に從はなかつた。と間もなく、一家中が大病にかゝつたので、大いに懼れて金生の肖像を造つて、梅姑の左の方に据付けた。
それが出來上つた時、金生は妻に向つて、
「あゝ梅姑が迎へに來た!」
と叫んで、衣冠を着けたと思ふと、死んで了つた。金生の妻はひどく憤つて、祠へやつて來て、女像を指して口穢く罵り、座に登つて梅姑の頰つぺたを打つて、歸つて行つた。それから馬氏の事を金姑夫と呼ぶやうになつた。