伊藤貴麿関連資料(14)「董劎客の話」

今回も雑誌『新小説』30-1(大正13年)に掲載された「劉孝廉の話」から「董劎客の話」。武勇を誇る男が、異人(異才の持ち主)から教えを受け損なう話です。『聊斎志異』巻九の「佟客」が原作です。

劉孝廉の話     伊藤貴麿

董劎客の話

 董生は徐州の人、撃劍を好んで、常に慷慨自負して居た。或る時途に一客に遇って、馬上共に行き客と語つて、談甚だ豪邁。其の姓字を問ふに、遼陽と佟といふ者である事を語った。又何所に往くのかと云ふと、
「吾輩は家を出てから二十年になる。今他國から歸る所だ。」と客は答へた。

「君は天下に遨遊して、定めし多くの人に附き合はれたらうが、曾て異人(偉人の意に似る)に御遇ひになつた事があるか。」と董が問ふと、佟は曰つた。
「異人とはどう云ふ人を指すか。」
そこで董は自ら所好を述べて、未だ異人の敎傳を得ない事を恨みに思って居る由を語つた。と佟は曰つた。
「何れの地か異人なからんやだ。要は唯、忠臣孝子にして始めて其の術を傳へ得るのみだ。」
 これを聞いて董は再び奮然自負し、即ち佩ぶる所の劍を拔いて打振り、高らかに歌って、又路側の小樹を斬つて、其の銳利なる事を矜つて見せた。と、佟は髯を捻つて微笑し、劎を借りて鳥渡査べて曰つた。
「此の甲鐵は出來そこないで、やくざ物だ。吾輩は未だ劍術は素人だが、然も一劍を藏して居る。頗るの利器だ。」
 そこで、衣服の下より短刀の一尺ばかりの物を出して、董の劍を削り始めたが。手に應じてざくざくと瓜を斷つがやうであった。董は駭く事かぎりなく、請ふて劍を手に受け、二三度ぬぐふた後これを返して、佟を家に迎へて、堅く留めて二た晚宿をし、種々劍法の事を叩いたが、專ら謝して葆み、董が膝を按じて雄談すれば、惟敬聽して居るばかりだつた。そのうちに夜はふけわたり、忽ち隣り座敷に亂闘するやうな氣配がして來た。隣り座敷は即ち董の父の居室だつたので、心中に驚き疑ひ、壁に近寄りてぢつと耳を澄すと、たゞ人の怒鳴り聲が聞えて來た。それはかう叫んでゐた。
「貴樣の子を早く出せ!其奴を罰すれば、貴樣は赦してやる!」
 やがて笞つ音がし、呻吟して如何にも苦しさうな聲を出してゐるのは、てつきり彼の父のやうであつたので、彼は戈を提つて往かうとした。と、佟は止めて曰つた。
「往つても駄目だ。恐らく遣つけられて仕舞ふ。萬全の策を計り給へ。」
 そこで董は慌てゝ敎を請ふた。佟は曰つた。
「賊は君の親仁さんを殺せば、君をも逃さず、殺戮を恣にするだらう。君に他に骨肉の者がなければ、妻子に後事を托し給へ。其の間に吾輩は戶を開いて、下男達を起してやらう。」
 董は承知して入つて妻に吿げると、妻は獅嚙附いて泣き出したので、彼は勇氣も俄に挫けて、遂に一緖に二階に登つて、弓を尋ぬ、矢を覓めて、賊の襲擊に備へやうとうろうろして居る半ばに、佟か樓の簷(のき)の上でからからと笑って曰ふのを聞いた。
「賊は幸ひにいつてしまつたよ。」
 董が蠟燭をつけて見ると、はや佟の姿は見えない。恐る恐る出て見ると、自分の父が隣家の宴會から、提灯を附けて始めて歸つて來るのに、ばつたり逢つた。そしてたゞ庭前の雜草が燒けて灰になつて居るのが見えたばかりだつた。そこで董は佟の異人なることを知つたのであった。


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