貫華齋

西遊記・金聖歎・中国古典小説

  前回の予告通り、今回は、江戸時代に出版され、近代以降の日本における西遊記受容にも大きな影響を与えた『画本西遊全伝』について、簡単に触れておきたいと思います。

 なお、ここでは必要最小限の説明になりますので、江戸時代の西遊記受容について詳細に知りたいという方は、磯部彰先生の『旅行く孫悟空―東アジアの西遊記』(塙書房、2011年)を是非お読み下さい。 日本の江戸時代だけではなく、中国(明・清)、朝鮮、ベトナム等における西遊記受容についても書かれています。この文章も実のところ、『旅行く孫悟空』と、その元となった『『西遊記』受容史の研究』(多賀出版、1995年)に依るところが大きいです。

旅行く孫悟空―東アジアの西遊記

 『画本西遊全伝』全四編(各10冊、全40冊。以下『画本』)は、先行する西遊記の翻訳書『通俗西遊記』全五編(1758(宝暦8)~1831(文政13)年、以下『通俗』)をダイジェストした改訳本としてスタートします。初編は1806(文化3)年に石田尚友(法橋玉山)に、二編は1827(文政10)年に山田圭藏によって書かれました。ここまでは『通俗』の初編から四編までを大幅に省略した形で書かれたものと考えられています。ただし、『通俗』の三・四編と、同じ部分の『画本』(二編の後半部分)は、「正確さの面ではともに大差がない」(前掲『受容史』)ということです。

 そして『画本』三編と四編は、それぞれ1835(天保6)年と1837(天保8)年に岳亭丘山によって翻訳されました。西遊記は全100回(100話)ですが、『通俗』がそのうち第65回までしか翻訳されなかったのに対し、『画本』はよりダイジェストされた訳ではありますが、100回を全て訳しています。

両者の関係を、原本西遊記の回数に拠ってまとめるとこのようになります。

西遊記(原本)  通俗西遊記    画本西遊全伝
第 1~26 回 初編  → 初編
第 27~29 回 二編   →
第 30~39 回  → 二編  
第 40~47 回 三編  →
第 48~53 回 四編  →
第 54~65 回 五編  → 三編(第1~5冊)
第 66~79 回     三編(第6~10冊)
第 80~100回     四編

 『画本』第三・四編を翻訳したのは、『通俗』第五編の訳者と同じ岳亭丘山です。ですから同じようなもの(『通俗』第六篇)を出版するメリットはあまり無く、『画本』を完結させることによって、「『通俗』第五編の続きが気になる人は『画本』を読んでね! 」という形になったと見られています 。

 『画本』も『通俗』も貸本として多くの人に読まれたようですが、やはり完結している『画本』の方が普及したのでしょう。前回述べたとおり『画本』は近代以降もしばしば翻刻されたのですが、そのような状況は『通俗』には見られません。また、現在でも『画本』は、まれに江戸時代の木版本が古書店(日本の古本屋とか)に出ますので私も1セット持っていたりします。

こんなのです(↓)。やはり貸本だったようです。

画本.jpg

 『通俗』の方は近世白話小説翻訳集12-13(汲古書院、1987-1988年)の影印(複製)本ならともかく、江戸時代の版本がネットの古本屋さんに出ているのを見たことがありません(少なくとも私は)。これも『画本』の方が普及した結果なのではないかと思われます。そして広く普及した『画本』は、前回挙げた明治から昭和にかけての翻刻本を経て、日本の西遊記の「ほとんどが画本に拠っている」といわれるような、大きな影響力を及ぼすことになるのです。

 次回は、この本に拠って作られ、最初の「児童書」西遊記として出版されたという、巌谷小波の『孫悟空』をみてみましょう。