今回から雑誌『新小説』30-1(大正13年)に掲載された「劉孝廉の話」から、三つの話を一つずつ載せていきます。まずは表題作「劉孝廉の話」。生まれ変わりを記憶している男の話で、一人称の視点で書かれています。原題は「三生」。以前に掲載した「三生」とは別の話で、混乱を避けるために、後出のこちらはタイトルを変えたのかもしれません。『聊斎志異』巻一に収められています。もちろん原作は一人称視点ではありません。
劉孝廉の話 伊藤貴麿
――俺は能く前生の事を憶えて居て、ありありと云つて見せる事が出來る。ずつと前の世だ。俺は家柄の家に生れて、所有る惡業をやつたあげく、六十二で死んだのだつた。初めて冥王の前に出ると、冥王の奴俺を丁寧にもてなして、坐をくれて、お茶を出してくれた。ふと見ると、冥王の碗の中の茶の色は、澄み切つて居て、俺の碗の中のは醪(にごりざけ)のやうに濁つて居やがるのだ。そこで俺は、こいつもしかすると、魂を眩まして過去を一切忘れさせて仕舞ふ、迷魂湯とでもいふやつぢやないかしらと氣付いたものだから、すかさず冥王が橫向いたひまに、案の角から打ち空けて仕舞つて、飲んだ振りをしてやつたものだ。
するとやがて、冥王は俺の前生の惡業を載せた帳簿を調べて、急に怒つて鬼共に引かせて、俺を馬にして仕舞つたのだ。それから一匹の鬼が俺を繫いて、一軒の家の前へつれて行った。其の家の門榍(しきひ)が髙くて、俺が踰えるのに難儀して居ると、鬼の奴俺をうんといふ程鞭打ちやがつたので、痛くて堪らず、飛上つたやうに思ふと、どうだ、俺の身體は馬小屋の中にちやんと居るのだ。そして、人の話聲がして來る。
「やあ、牝馬が子を生んだ。牡だわい。」
俺は精神ははつきりして居るのだが、どうも口をきく事が出來ない。それから何しろ腹が滅って堪らないので、爲様事なしに牝馬の乳を飮む事にした。
それから四五年經って、俺の體は立派に發育したが、俺は鞭打たれるのが恐しくて爲樣がない。鞭さへ見ると懼れて逃げ走つたものだ。それも主人が跨る時には、必ず馬具を置いて、轡を綏くしてだくらせてくれるから、そんなでもないが下男馬夫と來た日には、鞍も置かずに、兩の踝(くびす)で締付けるので、其の痛いこと心腑(はらわた)にしみ渡る程で、俺は口惜しくて口惜しくて堪らず、三日間食はずに居て、たうとう死んで仕舞つてやった。
再び蔭府に行くと、冥王は未だ俺の罪業が盡きないのを査べ、俺がそれを規避したのを責めて、皮を剝いで俺を犬にして仕舞つた。俺は不平で堪らず、娑婆へ行き度くなかつたが、鬼共が俺を亂打するので、痛くて堪らず、野原へ竄れて、いつそ又死んでやつた方がましだと、憤って絕壁のやうな所へ飛上ると、蜻蛉返つて立つ事が出來なかつた。そして、ふと自分を顧ると、俺は竇(あな)の中にねて居て、牝犬が俺を甞めたり、愛撫したりして居るので、おや俺は復世の中に生れて來たのだと知った譯さ。
少し大きくなった時、俺は粪便を見れば、穢いとは知り乍ら、可笑しな話で、嗅いで見ると香ばしい香がするのだ。然し勿論喰はないやうにとして居たさ。犬になって數年經つたが、俺は癪に障つていつでも死んでやらうかと思つたが、命を規避するのを恐れたし、又主人が大切に養つてくれて、殺してなどは吳れない。それで、俺は遂に我慢し切れず、わざと主の股に咬付いて肉を破つてやった。すると、主人は俺を杖で打つて殺して仕舞つた。こんどは冥王の奴其の事を知つて、俺の狂犬沙汰を怒つて、俺を數百遍も笞ち、俺を落して蛇にして仕舞つて、暗い部屋に閉込めて仕舞つた。其の部屋は眞暗で、日の目を見ず、くさくさして堪らなかつたので、避を匍ひ上り、屋根に穴あけて出たかと思ふと、俺は茂つた草の中に横へて居て、全くの蛇になつて居るのだ。
俺はたうとう後悔して、殺生もせず、飢ゑると木の實を食つて、一年ばかりも經った。其の間も俺はいつも、自分で死なうか、いや善くない。人を害して殺されようか、いやそれも善くない。今度こそは天命の死を得やうと發心したが、未だ其の期が來ない始末だ。或る日ふと草の中に臥て居ると、車の過ぎる音が聞えて來た。其の時俺は何氣なく急に路に飛出したものだ。すると車が過ぎしなに俺をしいて、兩斷して仕舞つた。例によつて冥王の前に出ると、冥王は俺が餘り早くやつて來たのを訝つたが、俺は匍ひ突く張って衷狀を訴へたので、冥王は俺が罪なくして殺されたものとして原(ゆる)し最早惡業も切れたといふので、復た人に爲てくれたのだ。それが即ち今の俺――劉なんだよ。