今回は、児童書西遊記の嚆矢といわれる、巌谷小波の『孫悟空』についてお話しいたします。
巌谷小波(1870-1933)は児童文学において非常に重要な人物です。彼が博文館の「少年文学叢書」の第一編として書いた『こがね丸』(1891年)が日本で最初の創作児童文学作品といわれているほか、1894年以降「日本昔噺」「日本お伽噺」「世界お伽噺」「世界お伽文庫」と次々に「お伽噺」のシリーズを刊行し、児童文学の世界に大きな貢献をしました。そして、巌谷小波が『孫悟空』(博文館、1899年)を書いたのは、この「世界お伽話」というシリーズの一冊としてでした。
この時期の巌谷小波については、例えば河原和枝『子ども観の近代―『赤い鳥』と「童心」の理想 (中公新書)』の第1章などが詳しいのですが(kindle版はこちら)、その中で「小波の(中略)歩みはそのまま児童文学の歴史となっていく」とまで書かれるほどの活躍だったのです。なお、前にも紹介しましたが、1899年の「孫悟空」を、「世界の始」「五色の石」等8編の話と合わせて一冊とした合本が、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されており、内容は1899年のものと同じですので、読んでみたい方はこれをご覧いただければと思います(1899年版もデジタル化されていますが、館内限定公開です)。→
国立国会図書館デジタルコレクション 『世界お伽噺 : 合本. 第1集』
さらにその後、生活社から『孫悟空』が「小国民版 小波世界お伽話」の一冊として、1943年に刊行されています。挿絵は異なり、仮名遣いなどを修正しているものの、文章の違いは少なく、これも基本的に同じものといえます。
さて、その『孫悟空』の内容を、ここで挿絵とともに簡単にご紹介しておきますと、次の様になります。
1. 花果山の石の卵から生まれた石猿が水簾洞を見つけ、山猿仲間の大将となり、美猴王と名乗る。
2. 不老不死を求めて仙術の修行に出、孫悟空という名前をもらう。
3. 花果山に帰り、留守中の水簾洞を襲っていた混世魔王を退治する。
4. 東海龍王の竜宮城に行き、如意金箍棒を手に入れる。
5. 冥界へ連れて行かれ、閻魔大王の帳面から自分の寿命を消す。
ここで原作では、玉帝(天界で最も偉い神様)が悟空を天の役人に取り立てるものの、その弼馬温(馬飼い)という役職の地位が低いことを知り、怒って花果山へ帰り、征伐に来た巨霊神と哪吒太子を返り討ちにし、斉天大聖と名乗る場面がありますが、巌谷小波の『孫悟空』では省略されています。
6. 斉天大聖の名称が認められ、天界の蟠桃園の番人となるが、桃を盗み食いし、蟠桃を食べる宴会も荒らしたので、花果山に逃げ帰る。
7. 玉帝は天兵を討伐に使わすが、なかなか退治できないので、顕聖神君(二郎神君)を使わし、変化比べの末、悟空を捕まえる。
8. しかし、捕まえた悟空を処刑できず、また暴れ出したので、釈迦如来が悟空と勝負し、五行山に閉じ込める。
9. とおりかかった三蔵法師に助けられ、弟子となって天竺まで行き、仏様になる。
めでたしめでたし。
これを読んで、「え? ちょっとまって! 9の部分まとめすぎやろ! 金角・銀角は? 牛魔王は? 」とお思いになった皆さん、そうなんです。このお話、ほとんど悟空が五行山に閉じ込められるまでの内容で、そこにその後の結果を簡単に付け足したものなのです。書名を『西遊記』(=西(天竺)に旅した記録)とせずに『孫悟空』としたのも、この構成の為でしょう。
このように、日本の児童書西遊記は、私たちが西遊記と聞いて想像するような話とはかなり異なる構成でスタートしました。実は児童書西遊記が原作のどのお話(エピソード=挿話)を採用するのかについては、非常にバラエティに富んでいます。これが、西遊記の話を他人とする時に「自分が好きなエピソードを相手が知らなかったり、逆に相手が好きなエピソードを自分が覚えていなかったりする」ことの原因になっているのだと考えられます。
この、日本の児童書西遊記が原作西遊記のどの挿話を採用してきたのかということについては、第1部第2章「僕らは西遊記のどんなお話を読んできたのか」の中で、この巌谷小波『孫悟空』から近年の児童書西遊記までを範囲として、全体的な流れを概括したいと考えています。