西遊記の構成

 

 本章では「僕らは西遊記のどんなお話を読んできたのか」と題して、日本の児童書西遊記が原作西遊記のどの挿話を採用してきたのかということについて書いていきたいと思います。なお、本章の内容は、2013年に発表した論文「日本における子ども向け『西遊記』について - 挿話選択の傾向と方法 –」(『国際文化研究』19号)をベースとし、その後に知り得た情報を追加しつつ書いたものになります。従って、今後も新資料が出ることで内容を少しずつ修正していくことになるかもしれない点、ご了解ください。

 さて、西遊記のどの「お話」(以下、挿話といいます)を、児童書西遊記が採用したのかを考える為には、そもそも原作の(中国小説の)『西遊記』にどんな挿話があるのかを知る必要があります。本当は挿話の内容を一つ一つご紹介したいのですが、それでは話が進みませんので、各挿話の紹介は今回は一部のみにとどめ、残りは必要に応じて適宜することにして、まず『西遊記』全体の構成がどうなっているのかについてお話しいたします。

 『西遊記』は大きく三つの部分から構成されています。

 第1の部分(以下A部とします)は、孫悟空の、五行山に閉じ込められるまでの半生(?)を描いた部分で、序章5「巌谷小波『孫悟空』」でいう1~8の部分に相当します。そこでも書いたように、原作には5と6の間に、玉帝が悟空を天の役人に取り立てるものの、その弼馬温(馬飼い)という役職の地位が低いことを知り、怒って花果山へ帰り、征伐に来た巨霊神と哪吒太子を返り討ちにし、斉天大聖と名乗るというお話があります。これを天界の部分と花果山の部分とに分けると、A部は10の挿話に分けられることになります。

 第2の部分(以下B部)は、玄奘三蔵が天竺にお経を取りに行くことになったいきさつを描く場面です。B部はあまり有名ではない挿話が多いので、簡単に内容を紹介しておくと、次の様になります。

B01 観音、取経者の弟子を探す

お釈迦様が東土に真経を伝えようとするのですが、それを取りに来る者(取経者)を観音菩薩が探しに行きます。その道中、沙悟浄・猪悟能(後の八戒)・龍(後の白馬)・孫悟空に会い、取経者が通りかかったら弟子入りするよういいつけます。

B02 陳光蕊故事

玄奘三蔵が僧になるまでの生い立ちを描いた部分です。陳光蕊は玄奘のお父さんの名前。中国の『西遊記』にはいろいろな版本(バージョン)があるのですが、古い版本にはこの話が無く、清代の頃からこの挿話をもつ版本が現れることから、後に挿入されたものと考えられます。

B03 魏徴、龍を斬る

龍王が、占いを外してやろうと天命に背いて雨を降らせる時刻と雨量を変えてしまったため、唐の宰相魏徴によって処刑されることになります。そこで龍王は魏徴の主君である太宗に助けを求めます。太宗は魏徴に碁の相手をさせ、処刑に行けないようにしますが、魏徴は碁の途中でうたた寝をして、夢の中で龍王を処刑してしまいます。

B04 太宗、冥界へ行く

龍王は、自分を守りきれなかった太宗に怨みを抱き、驚かしたため、それが元で太宗は命を落とします。冥界から救われて生き返った太宗は、水陸大会という餓鬼を救済する法会を開きますが、その会主として選ばれたのが、玄奘でした。

B05 玄奘、取経者となる

水陸大会で玄奘が経を講じていると、菩薩が現れ、天竺まで人を使わして大乗の経を受け取るよう太宗にいいます。玄奘はその取経者となることを申し出て、天竺への旅に出発します。

かなり簡略化していますが、B部の各挿話の概要は以上のとおりです。

 B部を全て採用している児童書は古いものばかりで、現在売っているものでB部を全て採用している児童書は寡聞にして知りませんので、詳細を知りたい方は、大人向けの翻訳で底本が清代の版本のもの(例えば↓)でご確認ください。

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 第3の部分(以下C部)は、いよいよ西天取経の旅の部分です。この部分は取経に至る最後のあたりを除くと、玄奘(一行)が「危機に陥る→解決する」という挿話のユニットが繰り返される、極めて単線的な構造になっています。この部分の内容については、今後、必要に応じて適宜ご紹介していきます。

 『西遊記』の全体は、このように三つの部分があり、その中にそれそれ挿話があるという構造になっているのですが、それでは、各部分に含まれる挿話は、どの話がどのくらいの数、児童書西遊記に採用されているのでしょうか? 次回はそれを知る方法についてお話しいたします。

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