1.1980年代以前に「河童率」が低かった理由
前節では、1980年代に児童書西遊記の河童率が上昇した原因について、その外的要因を探りました。本節では、児童書内部の要因を考察したいと思います。
まず、最初に確認したいのは、1930年代に講談から「河童の沙悟浄」が児童書にも伝播し、その後も落語や映画で「河童の沙悟浄」が喧伝されていたにも拘わらず、1980年代以前に河童率がそれほど高くなかった理由です。
これは、初期の児童書西遊記の底本を考えると理解しやすいと思います。鳥居久靖氏は「わが国に於ける西遊記の流行―書誌的に見たる―」(『天理大学学報』7-2、1955年)の中で、「大正から昭和にかけて、西遊記を名乗る読物は、児童ものをも含めて数十種を数えるが、そのほとんどが、画本に拠っている」と述べています。ここでいう「画本」とは、序章4「画本西遊全伝」で紹介した、文章はダイジェストされているものの、日本で最初に西遊記全体の翻訳を完成させた『画本西遊全伝』のことです。
この本の中で、沙悟浄登場の場面は次の様に書かれています。
忽まち河浪(かはなみ)山のごとく巻上(まきあが)り一個の妖怪(ばけもの)あらはれ出たり八戒鈀(くまで)を堤(さ)げ走り寄て是を見れば彼妖精頸(くび)に九個(ここのつ)骷髏(されかうべ)を繋(つな)ぎかけ一根(ひとつ)の宝杖(はうぢやう)を振て八戒を目がけ討(うつ)てかゝる(初編巻之八、帝国文庫「校訂絵本西遊記」1896年)
このように、「画本」では沙悟浄を「妖怪」(ルビは「ばけもの」)と表現しています。従って、鳥居氏の指摘どおり、大正から昭和にかけての西遊記の「ほとんど」がこれに拠っているのだとすれば、その時期に河童率がそれほど高くなかったのも頷けます。児童書西遊記の中で、沙悟浄を河童とした少年講談の系統の本はあくまでも傍流であり、多くの児童書西遊記は、翻訳書である「画本」を底本とし、そこから挿話を取捨選択して、文章を読みやすくしたものだったのです。そして、「画本」では沙悟浄を河童とはしていないので、昭和初期までの沙悟浄の河童率は児童書西遊記ではあまり上がらなかったのだと考えられます。
2.アニメ絵本、読み聞かせ本の増加
とはいえ、その後の児童書西遊記も、「画本」には拠らなかったにせよ、直接原本を翻訳したり、「画本」よりも新しい翻訳書に拠って書かれており、当然それらの底本は沙悟浄を河童とはしていないはずです。それにもかかわらず、1980年代以降、河童率が上昇したのは何故でしょうか?
もちろん、一つにはTVの影響力がそれまでのメディアよりも強力であった可能性も考えられるでしょう。しかし一方で、児童書西遊記側にも「河童の沙悟浄」を受け入れる要因があったのだと思われます。その一つが、児童書におけるアニメ絵本と読み聞かせ絵本の登場です。
アニメ絵本は、1978年刊行の平田昭吾『そんごくう』(ポプラ社 アニメ・ファンタジー3)を(管見の限りにおいては)嚆矢とする、小型で薄く、廉価な絵本で、調査の時点までに確認したのは以下の9冊でした。
- a 平田昭吾『そんごくう 』(世界名作ファンタジー20、ポプラ社、1986年)かっぱの化物【A】
- b 平田昭吾『そんごくう』(名作アニメ絵本シリーズ24、永岡書店、1986年)かっぱのばけもの【A】
- c 小宮山みのり『そんごくう』(アニメ世界めいさく、講談社、1987年)かっぱのばけもの【A】
- d 立原えりか『そんごくう』(サンリオ名作アニメランド23、サンリオ、1988年)かっぱのようかい【A】
- e 平田 昭吾『そんごくう』(スーパー・アニメファンタジー、ポプラ社、1988年)かっぱのばけもの【A】
- f 平田 昭吾『そんごくう』(よい子とママのアニメ絵本20せかいめいさくシリーズ、ブティック社、1991年)かっぱのばけもの【A】
- g 柳川 茂『そんごくう』(世界名作アニメ絵本16、永岡書店、2002年)かっぱのようかい【A】
- h 平田 昭吾『西遊記』(世界の名作童話 動く絵本(DVD付)、産経新聞出版、2006年)かっぱ【A】
- i マノル『そんごくう』(せかいめいさくアニメえほん、河出書房新社、2013年)ようかい【B】
この9冊のうち、沙悟浄を「かっぱ」とする本(後ろに【A】と書いてあるもの)はiを除く8冊にものぼり、これらの本が河童率引き上げに一役買っていることがわかります。
最初のアニメ絵本版西遊記を作成した平田昭吾氏は日活撮影所研究室に在籍し、その後手塚治虫のマネージャーを務めたとされ、1972年に特撮テレビ番組『サンダーマスク』を企画するなど映画・TVなどとの関わりがあると見られる人物です。従って、アニメ絵本はTVに近い環境、すなわち大衆メディアの影響を受けやすい環境で生まれ、それによって沙悟浄が河童とされたという可能性もあります。
また、アニメ絵本が沙悟浄を河童とする理由として、もう一つ考えられるのが、そのページ数の少なさです。アニメ絵本は全体の頁数がおおよそ50ページ以内に収められていて、しかもその半数は絵のページです。その、正味25ページぐらいの中に、西遊記の一部を切り出して描くのではなく、原作で百回にも及ぶ西遊記全体を詰め込んでいますので、かなり圧縮された内容となっています。
これまで述べてきた中で、翻案・講談・映画・落語・テレビなど、沙悟浄を河童と見なすジャンルは、西遊記そのものというよりは、それにいくらか創作を加えて作成した二次創作の性格を持つものが多いといえます。児童書西遊記の場合、原作に手を入れる程度はまちまちで、原作をなるべくそのまま翻訳したものもあれば、かなり改編を加えたものもあります。本稿では、原作のストーリーを用いている(オリジナルストーリーが主ではない)もののみを調査対象としたのですが、その範囲の中では、アニメ絵本は「極めて短くまとめる」という点において大幅に手を入れられた部類に属するものだといえます。翻訳やそれに近いものでは原作の設定をそのまま用いることが多くなるのに対し、原作に手を入れる度合いが大きいものであればあるほど、キャラクターを変化させることも容易に起こりやすくなります。また、全体を短くまとめる為にごく簡潔に沙悟浄を紹介するには「河童」としてしまった方が都合が良いということもあるでしょう。アニメ絵本において、沙悟浄が河童とされやすいのは、長大な原文をコンパクトにまとめるという大幅な「改編」を行ったためではないかと考えられるのです。
もちろん、ページ数が少ない児童書西遊記は前出の巌谷小波『孫悟空』(博文館、世界お伽噺10)を初め、早くから存在します。しかし、この巌谷小波の本がそうであるように、早い時代の児童書西遊記は、ページ数を減らす場合、孫悟空が五行山に閉じ込められるまでの話を中心として描き、沙悟浄が登場しないものも少なくありません。それに対してアニメ絵本では三蔵一行が取経に至るまでの西遊記全体の話を少ないページ数にまとめており、両者の短縮化の手法は全く異なるのです。
アニメ絵本と同様の理由で、近年流行している読み聞かせ本でも沙悟浄を河童とするものが多く見られます。読み聞かせ本とは、夜子どもを寝かしつける際に読み聞かせを行うのに便利なように、数多くの話を一冊にまとめたものです。そのため一つの話に費やされるページ数は極めて少なくなっています。本にもよるのですが、短いものでは、一話が一ページにまとめられているものもあります。私が調査した書籍のうち、読み聞かせ本にあたるのは以下の10冊です。
- j 井辻朱美『決定版 心をそだてる これだけは読んでおきたい世界の名作童話』(決定版101シリーズ、講談社、2010年)カッパのおばけ【A】
- k 西本 鶏介・竹内 通雅『母と子の読み聞かせ えほん 男の子が だ~いすきなお話』(ナツメ社こどもブックス、ナツメ社、2010年)カッパみたいな化けもの【A】
- l 田島 信元『子どもが眠るまえに読んであげたい 365のみじかいお話』(永岡書店、2011年)青い顔の妖怪【B】
- m 西東社『聞かせてあげたいおやすみまえのお話366』(西東社、2011年)かっぱのような沙悟浄【A】
- n 千葉 幹夫『カラー版 ママおはなしよんで 幼子に聞かせたいおやすみまえの365話』(ナツメ社、2011年)ようかい【B】
- o 主婦の友社『頭のいい子を育てるおはなし366―1日1話三分で読める』(主婦の友社、2011年)カッパお化け【A】
- p 主婦の友社『未来へむかう心が育つおはなし (頭のいい子を育てる)』(主婦の友社、2012年)カッパのお化けの沙悟浄【A】
- q 尾木 直樹『名作よんでよんで おやすみ前のお話366話』(学研教育出版、2012年)かっぱ【A】
- r 大泉書店編集部『ぼうけんばなし わくわくドキドキ30話 (親子の名作よみきかせ絵本)』(大泉書店、2013年)かっぱのような水のようかい【A】
- s 「灯台」編集部『こころのごちそう 名作絵本きょうのおはなし』1(第三文明社、2014年)カッパの化身【A】
この10冊のうち、l・nの二冊を除く8冊が沙悟浄を河童としています。これら読み聞かせ本の河童率の高さも、アニメ絵本同様、話を短くまとめるために沙悟浄を簡潔に紹介しなければならないからではないかと考えられます。前掲のグラフをよく見ると、1980年代に河童率が上昇した後、2010年代にさらにもう一段階河童率の上昇が見られますが、これは読み聞かせ本の流行がその一因なのではないかと考えられます。
1980年代以降、児童書西遊記の河童率が上昇した背景には、アニメ絵本と読み聞かせ絵本の増加という児童書側の要因も存在したのです。