前項で述べたとおり、宇野浩二西遊記の文簡本では、取経の旅の途中に玄奘一行に降りかかる災難が、すべて神仏の助けを得て解決されています。これを偶然、すなわち、宇野浩二が面白いと思った話が偶々神仏に助けられる話ばかりだったのだ、と考えることもできますが、実は文簡本からは神仏を重視・尊重していると思わせるような要素が、いろいろと見て取れます。
例えば、玄奘が取経に出る以前の部分の採用挿話を見てみると、事繁本で採用しなかったB02「陳光蕊故事」・B04「太宗、冥界へ行く」を、文簡本では採用しています。「陳光蕊故事」は玄奘三蔵が僧となるまでの生い立ちを描いた挿話、「太宗、冥界へ行く」は唐の太宗が冥府へ行き、信仰の篤い相良という人物のおかげで現世に戻ってくることができたという内容の挿話で、ともに仏教に深く関わる話といえます。つまり、取経の旅以前の部分でも、文簡本は、事繁本に比べて神仏、特に仏との関わりが強い挿話が選択されているといえるのです。
次にページ配分に注目してみます。文簡本は事繁本に比べて頁数が少ないのは、前述のとおりですが、これは採用された挿話数が少ないだけではなく、文章もダイジェストされているからです(だから「文簡本」と名付けたのでしたね)。例えば、両本とも全ての挿話を収めているるA部分(悟空が五行山に閉じ込められるまでの部分)を比較すると、事繁本が34頁あるのに対し、文簡本は18頁しかありません。この部分の採用挿話数は同じ(全部)なので、頁数の差は文章の繁簡の差であると言ってよいでしょう。このような文章の繁簡の差はA部分のみならず、全体的に見られる傾向です。
しかしその中で、お釈迦様と孫悟空が対決する、あの有名な場面(A10)や、結末近く、雷音寺直前から雷音寺に到着して経を受け取るまでの場面(C38)など、釈迦如来が重要な役割を果たす場面には両者の頁数に差がありません。つまり、文簡本でもダイジェストされていないのです。
一方で、C28「獅駝洞の三魔王」には、玄奘に過酷な災難を課す釈迦如来に、孫悟空が恨み言を言う場面があります。これは事繁本にも文簡本にも存在するのですが、文簡本ではその後の地の文で、
悟空は三蔵師父が獅駝國の魔王のために食ひ殺されたと聞いた時、泣いて如來樣をお恨みしたことがありました。もしほんとうに經を下さるつもりなら、こんないろいろな難儀な目に遭はせなくても、觀音菩薩か誰かに持って來さして下さればよい筈ですが、それでは修行になりませんから、經を貰ってもなんの役にも立たないのです。佛門に「九々眞に歸す」といふ言葉があつて、九々八十一度の災難に出會はなければならないように、ちゃんと如来様の方で定めてあつたのです。[C『西遊記・水滸伝物語』(アルス、日本児童文庫36)、p.101]
と、釈迦如来に代わって弁明しています。この弁明部分は事繁本には見られません。基本的に文章を削り、簡潔にしているはずの文簡本で、逆にわざわざ加えられているのが仏を弁護する文章である事からも、文簡本の「仏びいき」が読み取れます。
また、文章表現の細部にも、文簡本の「神仏の尊重」が、しばしば見られます。例えば、以下のような例が挙げられます。
- 天兵と孫悟空たちが戦う場面では、事繁本にあった「ずゐぶん長い間、群がる天軍を防いでゐましたが」という、孫悟空が健闘したことを記す記述を文簡本では削除し、相対的に天兵側に肩入れする形になっている。
- 悟空が天兵と闘う理由を問われ、「玉帝の位が取りたいからだ」と答える場面では、この答えについて、文簡本では悟空が「身の程を知らない」という指摘を入れ、悟空を批判・揶揄すると同時に、玉帝の地位の重さを示している。
- 火焔山の難を解決した場面では、文簡本では悟空が「助けてもらつた天上の神々に禮を述べ」る一文を挿入し、神々の助けを強調している。
このような文章表現の細部に見られる文簡本の神仏尊重の傾向は、挿話の採用傾向と一致するものであり、採用挿話からページ配分・細部の表現に至るまで、事繁本と文簡本との間には、事繁本に比して文簡本が神仏を尊重する傾向を有するという、性格的な差異が存すると言えるのです。
ただし、文簡本が神仏尊重の特徴を有するに至った原因の所在を明らかにすることは、日本文学や宇野浩二の研究者ではない筆者にとっては、能力を超える問題ですので、ここでは事実の指摘にとどめておきたいと思います。拙文をご覧の方で、何か思い当たる方がいらっしゃいましたら、ご教示賜れば幸いです。