宇野は「講談社の絵本」シリーズで、西遊記を題材とした絵本(F1~3、J1~3、M1~3)を刊行しています(F1にリンクします)。
Fが戦前版、J・Mが戦後版であり、文字がカタカナからひらがなに変わる、一部の頁を削除する(削除された頁の文章は残した頁に纏められている)等の変化は見られまずが、文章はほとんど同じで、挿話も両者で同じものを採用しています。
これは両方の版で同じ絵を使用したことによって生じた制約(頁の削除は容易だが、逆に絵の無い場面を加えることは難しい)が理由の一つであると考えられます。
なお、(2)文簡本ではC11「金角・銀角」の挿話が採用されていないのですが、絵本では採用されています。宇野はF2に掲載された「『孫悟空と八戒』について」という文章で、次の様に述べています。
結局、この本は、前の本も、この續きの本も、謂はゆる繪本で、繪が主であるから、繪になる所を先に書いたものである。
ここから見るに、「金角・銀角」も「絵になる」場面であったために採用したのだと考えられます。実際、F2・J2・M2のいずれも金角が「紅葫蘆」(瓢箪)に吸い込まれる場面が表紙に描かれています。
宇野浩二の没年は1961年ですが、その前年に刊行されたN『西遊記』(講談社少年少女世界名作全集)とその再刊であるQは、文簡本や腰斬本とはまた異なる挿話の採用パターンになっています。
採用挿話数は31と少なく、その意味では事簡本にあたります(Nにリンクします)。C16「通天河」までは事繁本に近い(事繁本からC01「双叉嶺」・C12「宝林寺と烏鶏国」のみ省略されている)のですが、その後は大幅に削除されています。
挿話採用の面で特徴的なのは、事繁本も含めて、これまで宇野が採用したことがなかったC08「四聖、八戒を懲らしめる」と、C26「朱紫国と賽太歳」を採用し、逆に必ず採用してきたC28「獅駝洞の三魔王」を外した点です。この事から、それまでは事繁本や文簡本のように、既成の翻訳に多少手を加えては繰り返し刊行していた宇野が、ここでは挿話採用の新たなパターンを模索したことが窺えます。
また、文体面で特徴的なのは、採用挿話数が事繁本よりも少なくなっているのと対照的に、文章は逆に文繁本よりも詳細になっている点です。これが、NやQの最も特徴的な点であると考えられることから、この本を文繁事簡本(文は詳細で挿話は少ない本)と名付けておきます。
新たな挿話を採用することも、文体を詳細なものにすることも、改編の方法としては手のかかるものです。宇野浩二は最晩年の体調が思わしくなかった時期に、どうしてこのような新たな、そして手のかかる改編を行ったのでしょうか? おそらく当時の日本における『西遊記』翻訳の状況が関係していると思われるのですが、それについては章を改めて述べることとして、次回は、ここまで述べてきた宇野浩二の西遊記について、一旦まとめておきたいと思います。