貫華日記Ⅱ

言葉の感覚

後輩が中国で起こった反日デモ暴徒化のニュースを知らせてくれたので、ニュース記事を読んでいました。
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050410k0000m030099000c.html

http://www.excite.co.jp/News/world/20050409191959/Kyodo_20050409a324010s20050409192002.html

「暴れてるなあ-、デモやもんなあ」と記事を眺めていて、ハタと気づいたのですが、デモって別に暴徒化しなければいけないものじゃないんですよね。あたりまえですけど。デモンストレーションすればいいんだし。同じ日に起こったイラクでのデモの記事には少なくともそんなことは書いてありませんし(書いてないだけの可能性もありますが)。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/mideast/afterwar/news/20050410k0000m030096000c.html

日本でもデモは行われていると思いますが暴徒化したという話は(昔はあったのかもしれませんが、最近は)あまり聞きません。

ところがなんだか中国のデモは毎度のように暴徒化し、その記事をよく目にしているので、デモが暴徒化したときいてもすぐには違和感を感じず、寧ろ「デモは暴徒化するもの」のような感覚になってしまっている自分が怖いです。

(前回の成都でのデモ)
http://www.excite.co.jp/News/world/20050403195200/20050404M30.047.html

http://editorial.gettyimages.com/source/search/details_pop.aspx?iid=52578889&cdi=0

(西北大学事件)
http://www.asahi.com/special/seihoku/TKY200311140365.html
http://www.geocities.jp/mdkenji/sub.htm